ため息と揺れる身体と噛まれる唇 

無意識は、身体を通して話している

カウンセリングをしていると
言葉よりも先に、その人の「身体」が話し始めることがあります

唇を噛む
爪を噛む
頭をかく

首を触る
指をポキポキ鳴らす

ため息をつく
髪を触る
足を揺らす

こうした行動は
一般的には「癖」と片付けられてしまうことが少なくありません

しかし、私はこれらを「無意識の言葉」だと思っています

もちろん
「唇を噛む人は○○です」
「頭をかく人は△△です」

という単純な話ではありません

同じ唇を噛むという行動でも、人によって意味はまったく違います

ある人は、不安を落ち着かせるため
ある人は、言いたいことを飲み込むため

ある人は、自分を抑えるため

またある人は、食べること自体に緊張していて
咀嚼のリズムが乱れているだけかもしれません

大切なのは、行動そのものではなく
その行動が「いつ」「どんな場面で」「何と一緒に現れるのか」を見ることです

私はカウンセリングの中で
クライエントの方が何気なく唇を触ったり、
急に指を組み替えたり、ため息をついたりする瞬間をよく見ています

すると、その直前には必ずと言っていいほど
何か心が動いているテーマがあります

本人はまだ気づいていない
でも身体は、もう反応している

身体は、頭よりも正直です

だから私は、無意識を知りたいときほどその人の身体を大切に見ます

逆に言えば、身体の癖を無理に直そうとする必要はありません

『また唇を噛んでしまった・・』
『また頭をかいている』

そこで終わらせるのではなく、

『今、身体は何を伝えようとしているんだろう』

そんなふうに身体に問いかけてみるのです 

すると、不思議なくらい
その人自身も気づいていなかった気持ちが少しずつ姿を現してきます

無意識は、夢だけに現れるものではありません

日常の何気ない仕草の中にも、
私たちの歴史や願い、葛藤や優しさが静かに息づいてると考えています

だから私は
身体の小さな動きを「癖」とは呼びません

それは、まだ言葉になっていない無意識からのメッセージなのです

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例えば
「ため息」は悪いことなのでしょうか?

「ため息ばかりついていてはいけない』

「幸せが逃げるよ」

そんな言葉を聞いたことがある人も多いと思います

確かに、ため息をついている人を見ると
「疲れているのかな」「落ち込んでいるのかな」という印象を受けることがあります

でも、カウンセリングで身体を見ていると
ため息は必ずしも悪いものではありません

むしろ、身体が自分を守ろうとしている
とても自然な働きであることが少なくありません

私たちは緊張すると、呼吸が浅くなります

息を止めたり、胸だけで呼吸をしたり、知らないうちに身体を固めています

その状態が続くと、
身体は酸素だけではなく、「緊張」そのものを抱え込んでしまいます

そんなときに自然と出てくるのが、ため息です

大きく息を吐くことで

「もう少し力を抜いてもいいよ。」
と身体が自分自身に伝えているようなものです

つまり、ため息は「壊れたサイン」ではなく
『調整しようとしているサイン』の場合があるのです

実際、カウンセリングの中でも興味深いことがあります

ずっと身体を固めて話していた方が、ある場面で大きくため息をつきます

そして、その直後に
「そういえば、本当は悲しかったんです」
「怒っていたのかもしれません」

と、それまで出てこなかった言葉が自然と出てくることがあります

身体が少しゆるむことで、心も動き始めるのです

もちろん、すべてのため息が同じ意味ではありません

諦めのため息もあります

怒りを飲み込んだため息もあります

安心して力が抜けたため息もあります

だから私は、「ため息をやめましょう」とは思いません

むしろ、

「そのため息の前に、何があったのだろう。」
「そのため息の後で、身体はどう変わったのだろう。」

そこに目を向けます

無意識は、言葉だけではなく呼吸にも現れるのです

身体を調整するため息 

あなたの身体は、一生懸命にバランスを取ろうとしているのかもしれないのです

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では次に、
唇を噛むということは、身体で何を担当しているのでしょうか

唇を噛む癖がある人は、意外と多くいます

食事中に噛んでしまう

考え事をしているときに噛んでいる

誰かと話していると、気づけば唇に歯が当たっている

「ただの癖です」

そう言われることもあります

でも私はこれも
あまり「ただの癖」とは思っていません

もちろん、歯並びや噛み合わせなど身体的な要因もあります

けれど、それだけでは説明できない場面を、臨床ではたくさん見てきました

唇は、とても不思議な場所です

言葉が出ていく場所
食べ物が入ってくる場所

笑顔も、怒りも、泣き顔も、最初に現れる場所

つまり、身体の『境界』にあります

だから私は、唇を噛むという行動を見ると
「この人は、今何を守ろうとしているのだろう」

そんなことを考えます

例えば、言いたいことを飲み込んでいる人もいます

怒りや悲しみを、その場では表現できず、
身体だけが口元を固くしていることがあります

また、誰かの視線を強く気にしている人もいます

食事をしていても

「変な食べ方をしていないかな」
「遅くないかな」

「見られていないかな」

そんな緊張が続くと、口元には自然と力が入ります

食べることは、本来とても無防備な行為です

口を開き、外のものを身体に取り入れる

そのわずかな無防備さに、身体が緊張してしまうこともあります

また、唇を噛む人の中には、自分を抑えることが上手な人も少なくありません

怒りも、悲しみも、不満も、

「今は出してはいけない」
・・そうやって長年過ごしてきた人ほど、口元は静かに働き続けます

でも、ここで大切なのは、

「だから唇を噛む人は○○だ。」
と決めつけないことです

身体は、とても正直ですが、とても個性的でもあります

同じ行動でも、その人の人生によって意味は変わります

だから私は、唇を噛むことを止めようとは思いません

まず知りたいのは、

「どんなときに唇を噛むのか」

「その直前に、身体では何が起きていたのか」
「噛んだあと、少し楽になるのか」

身体には、必ず理由があります

その理由は、頭で考えて作られたものではなく、その人が生きてきた歴史の中で育ってきたものです

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「貧乏ゆすりはやめなさい」

子どもの頃に、そう注意されたことがある人は少なくないと思います 

行儀が悪い
落ち着きがない

イライラしているように見える

一般的には、
そのようなネガティブな印象を持たれることが多いと思います

でも私は、
カウンセリングで人の身体を見ていると、少し違う見方をするようになります

貧乏ゆすりをしている人を見ていると
「身体が何とかしてバランスを取ろうとしている」

そんなふうに感じることがあるのです

人は強い緊張状態になると、身体の中にたくさんのエネルギーを抱え込みます

逃げたい
動きたい

でも動けない

怒りたい
でも怒れない

泣きたい
でも泣けない

そうした行き場を失ったエネルギーは、身体のどこかに留まり続けます

そのとき、脚が小さく揺れ始めることがあります

私はそれを、「落ち着きがない」のではなく、

身体が自分自身を守るために
余分な緊張を少しずつ逃がしているように感じます

実際、カウンセリングの中でも興味深いことがあります

最初は絶えず脚を揺らしていた方が、
安心して話せるようになると、自然に揺れが止まり
リラックスされてきます

逆に、普段は静かな人でも、
とても話しにくいテーマに触れた瞬間だけ脚が動き始めることもあります

つまり、貧乏ゆすりは、その人の性格ではなく、
その瞬間の身体の状態を映していることがあるのです

もちろん、すべての貧乏ゆすりが同じ意味ではありません

集中すると脚が動く人もいます

考えを整理するときに動く人もいます

不安が強いときだけ現れる人もいます

だから私は、「貧乏ゆすりをやめた方が・・」とは思いません

代わりに
『その脚は、今どんな仕事をしているのでしょうか』

そんなふうに身体に問いかけます

身体が終わらせられなかった動きを続けていることも多いものです 

身体は、とても正直で賢く働くなと感じます

私たちが頭では気づいていないことを、先に知っています

だから、ときには脚を揺らし、ときには深いため息をつき、ときには唇を噛みます

それは困った癖ではなく
身体が今日まで自分を生かしてきた方法なのかもしれません

だからまずは、止める前に見てあげてください

『この身体は、今、何を守ろうとしているのだろう』

その問いから、自分自身を理解する旅が始まることがあります

ユークリッド・カウンセリング