
あるクライエントがこんな話をしてくれました
私の家はサーカスみたいだった
最初は不思議な表現だと思いました
でも話を聞いていくうちに、それはとても正確な言葉なのだと感じました
そのサーカスには団長がおりました
団長は金貨を稼ぐことが大好きで
喝采を浴びることしか考えていません
団長の思惑は、自分のサーカス団をどれだけ相手に評価させるかです
もう一人の大人の団員は
早々に、自分が作ったサーカスに見切りをつけ、夜の酒場に
女を探しに行ってしまい不在です
団長は、そこも気に食わないのです
だから酒を浴びながら、稼ぎが少ないと文句をいう
さて、
子どもは団員ではなく、サーカスの・・
団長の持ち物です
舞台で失敗すれば罰を与え、鞭を振るいがなりたてます
失敗しなくても、団長の機嫌ひとつで罰が下る
昨日の正解が
今日の正解とは限らない
演目は突然変わり、休む時間もありません
子どもの足には鎖がついていて、逃げることもできない
夜になっても安心できません
酒を飲んだ団長がいつ怒鳴り込んでくるかわからないからです
だから夜は眠れない
昼も夜も、舞台に備えていなければならない
その子は言いました
『罰がなかった日は一日もありませんでした』
⸻
このサーカスで一番禁止されていたことは何なのか
・・私はそう尋ねました
返ってきた答えは
『指示どおりに動かないことです』
つまり、自分で考えること
、自分で決めること
自分で好きになること
それらすべてが禁止事項でした
サーカスの団員である以上は、
個人は団長の持ち物である
気持ちを持つ、意思を持つことは団長からしたら邪魔でしかないのです
『今日は何がしたい?』
そんなことを聞かれた記憶は一度もないと言います
『好きなものは?』
そんなものは必要ないと鼻で笑われる
あるのは芸だけ
役だけ
評価だけ
そして、役立たず、恥さらしというあだ名だけ
そこには『自分』という存在はありませんでした
⸻
私はさらに尋ねました
『一番最初に失ったものは何ですか』
返ってきた言葉は、
『気持ち』という一言でした
能力でもない
自信でもない
最初に失われたのは、気持ちだったのです
嬉しい
悲しい
嫌だ
楽しい
好き
そのすべてより先に、
『感じること』
そのものが消えていった
⸻
そして最後に、その子はこう言いました。
『死にたいと思っていた』
私はその言葉を急いで解釈しませんでした
しばらく、時間を待っていると
一緒にいると、その子は静かに続けました
『でも死に方すらわからないような場所にいたから・・』
私はその言葉を聞いて、初めて意味がわかりました
その子は死を望んでいたのではありません
終わらせ方がわからなかったのです
舞台は終わらない
練習は終わらない
罰は終わらない
疲れても終われない
『疲れた』
と言えば、
「気のせいだ」
と笑われ、また舞台へ戻れと蹴り飛ばされる
終わるという経験そのものが存在しない世界で育った子どもは、 『終わる』という感覚を知りません
だから「死にたい」は、命を絶ちたいというより
『どうしたら終われるのかわからない』という疑問でした
その子は言います
『舞台では顔で笑って、心で泣いてた』
『まるでピエロみたい』
と、自分を思い出しクスッと笑う彼女の顔は
本当に笑っているけど泣いていました
⸻
しかし、その子には一つだけ残っていた記憶がありました
幼い頃
ジャングルジムの上で、
『ピンクと赤って最高』と思った記憶です
色の組み合わせがとても好き!と思った唯一の嬉しい記憶です
誰かに褒められるためではない
誰かに見せるためでもない
ただ、自分の中から湧き上がった『好き』は存在していたのです
その一瞬だけは、まだサーカスは始まっていませんでした
私は臨床の中で何度も感じます
トラウマによって最初に奪われるものは、能力ではありません
『気持ち』です
そして最後まで残ろうとするものもまた、
『気持ち』です
だから回復とは、強くなることではないのだと思います
『私はこれが好き』
『疲れた』
『怖い』『しんどい』
『悲しい』
そうした小さな気持ちを、もう一度自分のものとして感じられるようになること
だと思っています
かつての小さなピエロだった顔の
化粧はもう落ちかけています
サーカスの舞台から降りて
自分の人生を歩き始めるとは、そういうことなのかもしれません







