声をかけない ただ待つだけ 

カウンセリングをしていると
トラウマというものは
思い出として保存されているわけではないのだなと感じます

もちろん出来事の記憶として残っている場合もあります

しかし多くの場合
トラウマは記憶として存在しているというより
その人の生き方そのものの中に深く入り込んでいます

そのため
何があったのかは覚えていなくても
『どのように生きているか』を見ると
そこにトラウマの痕跡が現れています

私は大きく分けて
トラウマにはいくつかの現れ方があるように感じています

①一つ目は身体化です

喉が詰まる
胸が苦しい
息が吸えない
頭痛がする
お腹が痛い
身体が固まる
震える

こうした症状です

本人は理由がわかりません

むしろ理由などないと思っています
しかし身体は知っています

何が危険だったのか
何を飲み込んできたのか
何を言えなかったのかを

フロイトはヒステリー研究の中で
抑圧されたものは消えるのではなく
別の形で回帰すると考えました

身体症状とは
まさにその回帰の一つの形なのだと思います

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②次にイメージ化があります

夢を見る人
空想を見る人
瞑想やイメージワークの中で象徴的な場面が現れる人です

泣いている子ども
暗い部屋
古い家
怪物
動物
亡くなった人

こうしたものが現れることがあります

これは単なる想像ではありません
私はむしろ
言葉になれなかった経験が
イメージという形式を借りて現れている状態だと考えています

ラカンは無意識は言語のように構造化されていると言いました

しかし無意識は最初から言葉で現れるわけではありません

比喩や象徴やイメージとして現れることもあります

そしてそれを丁寧に辿っていくと
その人自身の歴史に繋がっていくことがあります

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③三つ目は行動化です

何度も同じ恋愛を繰り返す
同じような相手を選ぶ
依存や過食を繰り返す
怒りを爆発させる
本人もやめたいと思っているのに繰り返してしまう

これは意思の問題ではありません

フロイトが反復強迫と呼んだ現象に近いものです

心は理解していることよりも
馴染みのあることを繰り返します

苦しくても
それが知っている世界ならば
そこへ戻ろうとします

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そして私が臨床の中で重要かつ、かなり手強いな・・!と思っているのが
『迎合』という現れ方です

これはあまり症状として認識されません

しかし非常に多く見られます

怒鳴る人に従う
・・もしくは自分が怒鳴る人になる

支配する人を選ぶ
・・・もしくは自分が支配する人になりたがる

見捨てる人から離れられない
・・・・見捨てる・見捨てないという世界観で人と付き合う

いつも他人を優先する

自分の感覚を疑い続ける

こうした在り方です

本人は適応しているつもりです

周囲からも問題ないように見えます 

しかし実際には
かつて生き延びるために身につけた方法を
今も続けているだけかもしれません

トラウマに抵抗するのではなく
トラウマに合わせて生きている状態です

もっと言ってしまえば、かつての虐待者と一体化しがちな
生き方です

ラカンの言葉を借りるなら
それは一つの享楽の回路とも言えます

苦しいのに離れられない

なぜならその苦しみの中に
自分の存在の位置が組み込まれているからです

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ところが
カウンセリングが進むと
時折これらとは異なることが起こります

身体症状でもなく
夢でもなく
行動でもなく
迎合でもない

もっと奥にいる主体が現れることがあります

例えば、それは小学生の頃の自分だったりします

誰にも助けてもらえなかった自分
一人だった自分
怖かった自分
我慢していた自分

その子が現れることがあります

ここで大切なのは

!治そうとしないことです
!慰めようとしないことです
!励まそうとしないことです

それらは一見優しく見えますが
時に『現在の自分』が『過去の自分』を支配してしまいます

過去の自分は
助けを求めているとは限りません

理解されたいだけなのかもしれません

ただ見つけてほしかっただけかもしれません

ただ一人ではなかったと知りたかっただけかもしれません

大人になった現在の自分からの励ましの奥に、実は
『社会適応せよ』みたいなものが含まれると

せっかく出会ったかつての自分を、

また、今の自分が(かつての虐待者のように)
行動を強制して、無理やり適応させようとするものが
含まれていたりする場合

その過去の自分が、また固まってしまいかねないのです 

(もうそうすると、本当大変) 

重要なのは
ただそこに居ることです

ただ隣に座ることです

ただその存在を許すことです

すると不思議なことが起こります

手を握ってくるのは
大人の自分ではなく、子どもの方だったりします

近づいてくるのは
現在の自分ではなく
過去の自分だったりします

私はこれを回復の一つの形だと思っています

トラウマ治療とは
何かを取り除くことではないのかもしれません

身体化されたものを理解し
イメージ化されたものを辿り
行動化されたものを見つめ
迎合していた構造を知り

そして最後に
ずっと置き去りになっていた主体と出会い直すこと

それが起きた時
人は初めて
過去を消すのではなく
過去と共に生き始めるのだと思います