『人格にお伺いをたてる』 〜解離とDIDとインナーチャイルドの違い 

『解離』という現象は、一言で言えば「心のブレーカーが落ちた状態」です

あまりにも辛い体験や耐えがたいストレスに直面したとき、
心が壊れてしまわないよう、意識や記憶、感覚などを一時的に『切り離す』ことで自分を守ろうとする脳の防御反応です

通常、私たちの意識や記憶、感情などは「自分という一つのまとまり」として統合されています

しかし、強いストレスがかかると、この統合がバラバラになります

・感覚の麻痺: 叩かれても痛みを感じない、現実感がなくなる
• 上の空・ぼーっとする: 自分がその場にいないような感覚(体脱感)
• 時間の喪失: 「気づいたら時間が経っていた」という感覚

という様相になります

そして解離の現象は大きく二つに分類されます

ひとつは

①解離性障害(かいりせいしょうがい)

解離という反応が日常的に起こり、生活に支障が出ている状態を指します。主な症状には以下のようなものがあります。
• 解離性健忘: 自分が体験したはずの出来事(特に辛い記憶)を、すっぽりと忘れてしまう。
• 離人症: 自分の体や心が自分のものではないように感じたり、映画を見ているような感覚になったりする。
• 解離性遁走(とんそう): 突然、自分の身元を忘れて遠くへ行ってしまう

もうひとつは
②解離性同一性障害(DID)

かつて「多重人格」と呼ばれていたものです
解離性障害の中でも最も重い形態の一つです

• 人格の交代: 自分の中に、全く別の人格(名前、性格、年齢、性別が異なるもの)が複数存在するように感じられる

• 記憶の断絶: 別の人格が表に出ている間の記憶が全くないため、「身に覚えのない買い物がある」「知らない場所に来ている」といったことが起こる

これは、幼少期に「自分一人では到底耐えきれない苦痛」を受けた際その痛みを肩代わりする別の人格を作ることで、本体の心が生き延びようとした結果だと考えられています

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さて、私は医師ではないので診断をカウンセリング内で行うことは出来ないのですが
お話を伺っていたり、その方の醸し出す雰囲気などから
『ああ 解離、あるなあ』と感じる方がいらっしゃいます

そして、その割合は
うちのカウンセリングでは割と多いような気がします

カウンセリングごとに、どんなクライエント様がいらっしゃるかという
傾向があるのですが

我がカウンセリングの傾向は 解離と、トラウマによるPTSDと、依存症と
・・・・(以下控えます)が多いです

私は、私自身が解離性同一性障害があるので
解離の構造を、捉えやすいという利点があります

さて、解離の構造を少しみて行くにあたり少し迷ってしまう部分を説明します

よく聞くインナーチャイルドという存在と、解離の人格は
何が違うの?ということです

私たちは

 

『インナーチャイルドは感情の「澱(おり)」』としてみます

インナーチャイルドは、専門用語ではありませんが、心理療法でよく使われる概念です

・状態: 成長する過程で、満たされなかった想いや、傷ついた記憶が、**「感情の塊」**として心の中に残っているもの

・意識のつながり: 基本的に「私」の中にいます。「あ、今、私の中の小さな子供が泣いているな」「お母さんに認めてほしかったんだな」と、自分の一部として感じ、対話することが可能です

 

 

『解離の人格(交代人格)は、心の「防壁」』としてみます

解離性同一性障害(DID)などで現れる人格は、もっと構造的にハッキリと分かれています

• 状態: ひとりの人間が耐えられる限界を超えたとき、その苦痛(殴られる痛み、死の恐怖、絶望)を「完全に別の箱」に閉じ込め、そこに意識を持たせたもの

• 意識のつながり: 「私」とは別の存在として独立しています
境界線が強固で、人格が入れ替わっている間の記憶がない(健忘)ことがよくあります

これらは切り離されたものではなく
ひとつのグラデーション(地続き)として考えるのが一般的なのかなと思っています

• 軽度の解離: 辛い時に「上の空」になる
これはインナーチャイルドが一時的に殻に閉じこもるような状態です

• 重度の解離: 「上の空」の状態があまりに長く
過酷だったため、逃げた先の「空」の世界で別の人格が形成されてしまう
これが交代人格です

 

 

インナーチャイルドは
なんとなく自分の中に『小さなかつての自分』として感じられている状態。

解離性同一性障害は
かつての自分という認識より
どこか、別の世界で生きていた存在を見ているような感覚です。

なので、解離性同一性障害の方は、その頃、どう感じていたか
ということを掴みづらく、言語化しづらいということが特徴です

 

 

また、セラピストとの関係性では
その人格の一人がカウンセリングの場に現れて
話し始めることもあります

そして今回の解離の先の世界ということですが

この解離した人格たちは
切り離されているので、それぞれが独自の世界で生き続けることになります

その世界を、私はカウンセリングの時に
眺めさせてもらうのですが

なんというのかな・・・

やはり閉じられた空間に、どの人格たちもいらっしゃる気がします

おおよそ、解離性同一性障害の方の
人格の分裂はどれくらいの人数かというと、大概は3、4人かなという感じですが

分断はしていない解離性の人格だと、観光バス1台分の人数なんてこともあります

そしてうちに通っていらっしゃる方も
分裂された人格がいらっしゃる方がいますが

その人格と出会う時は、なんというか、

カウンセリングが始まってすぐに
もう予感めいたものが沸々と湧いてくるというか

なんだろう あちら側の人格たちが
もう準備している感じが伝わってきて

『ああ、くるな』と肌感覚でわかります

しかし人格たちは、こちら側の無理な呼びかけ、強制には一切応じません

でも、それでいいと思うのです

だから、私は人格に出会ったときは
絶対に、こちら側からの説得や呼びかけは禁じています

今までどれくらいの苦しさの中にいたのか・・ということを
こちら側が聞かせてもらう段階が最初で

まずはあちら側が、こちらに気がついているか

対話したがっているか

何か要望はあるか

などをゆっくり聴き出していけるよう、こちら側の敬意が
とても重要なのです

先月から今までにかけて
数人の人格とお会いしましたが
『急に接触しようとしないで』と

先を急ぐクライエントさんを制止してあります

あちらは人格なので、意志があるのです

お腹も空いているのです
安全な場所も必要なのです

そして何より、『自分の意思でこちら側に来たいかどうか』と
いうことを確認しないといけません

それはクライエント様とクライエント様の別人格との
境界線でのご挨拶のようなものです

それをまずは整えてから出ないと、統合なんてものはできません

結構、この人格に出会うと
説得を試みられてしまう方が多いのです

『大丈夫だから!』とか
『怖くないから!』とかですね

でも、その人格たちは 怖がっているのです

そこを受け止めなくてはなりません
説得ではなく

『一緒にいる』という時間がとても大事

怖くてもいいよ でも
そばに人がいるよ  という事が大事なのです

(そしてその時間はカウンセリングで誘導すればそんなに長い時間を必要とはしません)

先月は人格が、幼い子だったことも多く
人格たちからのリクエストが割と早く届いて
それに応えられたので

クライエント様たちの回復も早かったなという気がしています

やっぱ、その現場に立ち会っていると
こちらの感覚も、何かものすごいものに触れている感じがして
圧倒されます

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さて、そんな中でも特異な例として

人格がお亡くなりになっている場合があります

というか、葬られていることがあります

これは、私も多くのクライエント様を見てきましたが

数人しか会ったことがなく

そして、私自身の中にもその葬られた人格がいます

これは、臨床の感覚と、
私自身の自分の中の経験からして

これがあると、第六感みたいなものが出てきやすい

というか、
今ここの現実ではないように感じられる感覚や
記憶を受け取りやすい傾向があるなと感じています

通常の言語化が難しい感覚を拾いやすいのです

波長があってしまうのかなと思っているのですが
目に見えない世界との回路が自分自身の中にあるので

それを自覚して過ごすことがとても大事な気がします

そして、その葬られた場所は
一貫して、ある様相をしています

ほとんど皆様、そして私も含めて同じような場所です

『深淵』という感じの場所です

また、ここを取り扱うべき時期は
ずっと前から準備がされています

なので、いきなり、そこを取り扱うというよりかは

他の人格たちとある程度の意思疎通ができるようになって
その皆さんと力を合わせることができて

迎えにいけるという感じです

人格を迎えに行くことは

(これは葬られた人格だけではなく、インナーチャイルドだったり
解離の人格も含みます)

クライエントにとって何を回復することに繋がるのかというと

例えば、失われた活力や、足場の感覚などが出てきます

(私は自己肯定感という言葉は好きではないのだけど)

『肯定しなくても、自分があっていい』という感じが出てきます

無理やり自分を上げたり、認めなくても

朝、起きただけで嬉しかったり
ご飯を食べることが嬉しかったり
歩くこと、体を感じる事が喜びだったり・・と

どちらかというと
子供の頃、あった『起きたら元気、遊びたい』みたいな感覚が出てきます

私はある大学病院で、
この場所に、先生の誘導で行ったのですが
その時は部屋の二つの場所の蛍光灯がバチバチと音を立てて消えました

替えたばかりなのに・・と先生は言っていましたが

こういうことは
人格との出会いの現場でよく起こります

それほどまでに、無意識の深層に触れることはエネルギーの変容を伴う体験なのです

もちろん、それを何かの現象として断定するつもりはありません

ただ、無意識の深い層に触れる場では、

場の空気や身体感覚が大きく変わったように感じられることがあり
それはいくつもの文献と症例で報告されているところです 

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そして
最近の新海誠監督の映画とか
ジブリなどでも
その場所に近しい描写がよくあります

なので創作の方々っていうのは、もしかしたら
あの場所に近しいところを知っているのかもしれないなと感じています

そして宮崎駿監督は
その場所に行くことを
『めんどくさい めんどくさい』とよく言うとのこと。

確かにその感覚は分かるのです

通常こちらから、あちら側に行くのは
かなりの体力と集中力、そして地図のような物が必要です

創作者の方々は、
言葉になる前の感覚やイメージに
深く触れている場所があるのかもしれません

それが解離で飛ばされた場所と

何故か近しい?のかなと感じるのです

でも、
解離と創作は
面白い相関関係があると思っています

そしてその相関関係は臨床の場でよく現れます

なので、どうぞ怖がらないで

(クライエント様が
シリアス過ぎるカウンセリングって、何故か回復が滞りがちになるのです)

せっかくなのでカウンセリングで
面白がっていただければとおもっております