どんな虐待をされてきたのか
その虐待の種類というものを
最初クライアントさまが来られたときに
なんとなくぼんやりと把握する
わかりやすい虐待としては、もちろん暴力とかネグレクトであります
叩く
殴る
暴言を吐く
ご飯を食べさせない
睨みつける
罰を与える
等々
誰が見ても暴力的なタイプの虐待は
子供の心にとてつもない恐怖とパニック、そして混乱のトラウマを引き起こします
この暴力的トラウマはクライアント様とも
『うん、これは虐待だよね』とうなずきあえるケースなので
カウンセリングとしては
このあたりは、割と早く進みます
『早く恐怖の世界から出よう』と介入も
どんどん進むし、カウンセリング自体も『共感』をお互いにツールとして使えるので
とてもわかりやすいのです
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対して手こずるのが
『褒めて育てる』という嗜好の親に育てられたケース
この場合の子供は育つと無気力になりがちで
かつ、『自分の感覚が分かりにくい』という感覚を抱きやすいのです
親が褒めるのは、もちろん『本当にすごいね』という感覚からのこともあるでしょうが
ほとんどは
『褒め』を支配のツールとして使っています
子供は『褒めて育てる』というフレーズからして
『褒め』が子供にとってどう作用するかということを
わかって褒めるとしたらそれは『確信犯』です
心の底からの
温かな共感や思いやりとかではなく
打算的な『褒め』はただの『クスリ』です
そうすると
『褒め』がアメで
『無視』がムチになるのです
親が思う正解を子供がしてくると
親が褒める
すると子供は『正解』の道しか進めなくなります
褒められて育った人は
どうしても『褒められる』=『人に認められる』ということが『人生の正解』になりやすい
しかも褒められることは『快感』につながるので
結局、その『褒め』が依存のような作用をしてしまうのです
人生は正解だけを進むのではないので
正解以外の『想定外』に出くわしてしまうと途端に心もとなく路頭に迷ったような感覚になってしまうというのが特徴です
カウンセリングでは
親に向けたかった感情をカウンセラーに向ける(表現する)ということで
治癒がもたらされたりしますが
一方で
『親から欲しかったものを、ずっと治療者(カウンセラ=)から受け取りたがる』
という場合があります
この場合のクライアント側としては
褒めてもらうという関係を構築したい
『依存したい』もしくは『導いてほしい』という飴を欲する感覚を持っていたりするのです
でもこれって
実はアルコール依存症の患者さんにアルコールを渡す行為と同等になりかねないのです
なので
カウンセリングで『褒めてほしい』という要求を長いこと求められてくる時は
褒められる事によって
どういうものを求めているのかということをテーマに介入していきます
ここって
めちゃくちゃ『支配』が絡んでいるところなので
カウンセリングは割と大変です
ここで、きちんと自分の癖のようなものを把握しないと
次々に
依存先を探して彷徨うことになります
それはそれで飴を探す旅は苦しい道のりです
そして、もしその飴をくれる依存先が『邪悪』であった場合
搾取されてしまいかねないのです
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虐待にもいろんなパターンがあり
複合したパターンもあるから一筋縄ではいきません
ちいさな頃は、暴力を受けていたけれども
年頃になったら
親が反対に自分に執着してきた・・とか
急に親が依存的になってきた・・なんかのパターンはよくあるのです
親が子供に依存し始めるときによく使うのが『罪悪感』です
『今まで育ててやったんだから・・・』
などのフレーズが一度でもでたら
その親は
子育てに見返りを求めている親でしょう
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