殺意を解消する

『許せば楽になる』とはよく言います

ただ一概にユルスと言っても
色々な漢字もあり ニュアンスがちょっとずつ違います

①許す・・相手を信用して警戒心や緊張をゆるめる(Goo国語辞書より)
②赦す・・義務や負担などを引き受けなくて済むようにする。免除する(デジタル大辞典より)
③恕す・・]思いやりの心で罪や過ちを許す。(デジタル大辞典より)

最後の『恕す』ってあんまりみない漢字だとは思うのですが
これもユルスと読みます

カウンセリングでは この3番目の『恕す』を
私はメインに考えて進めていきます

簡単に許せない虐待を受けてきた方は沢山いらっしゃって
そんな方々に
『許せば楽になるよ〜』
というものではないと思うのです

最後の『恕す』の心情になるまで
それはそれは血の吐くような想いをされるわけです

その血を吐いている最中に
周りから
『許せ』『赦せ』『恕せ』と言われるのは
とても酷なことを強いているように思えるのは私だけでしょうか

『ゆるせるようになる』には
自分を知らなくてはならないし
相手の、その実態をも知らなくてはならないのです

クライアントさまたちが一番苦しむのは『不条理』によってです

『なぜ親に虐待されなくてはならないのか』
『なぜ私がこのような目に遭うのか』

ここに法則性を見出せないので苦しむわけです

法則性さえ見つかれば
諦めたり納得したりできるのですが
それが見つからない

虐待されていない人もいるわけだし

生まれつきに恵まれてそうな人もいる

なので自分に降りかかったこの『差』が『不条理』すぎて
人々は苦しむわけです

私がスーパーバイザーから教わった大事な教えの一つとして
『チャンスは平等なんだよ』というのがあります

なんのチャンスかと、当時はものすごく考えましたが

これはおそらく
『不条理から脱却するチャンス』なのではと思うようになりました

不条理って 誰でも持ちうるものです

どんな恵まれたような方でも持ちます

なぜかって
『死』が不条理だからです

あとは『老い』も不条理ですね

若い頃は恵まれていても 必ず誰しもに訪れるものです

しかし何故『死』や『老い』が訪れるかといえば
それは『種の保存』のためであります

なので 誰しもが
『自分以外の他者の存在』にバトンを明け渡していきますし
ひきわたされる相手は
いつかの自分と同じだった『若い立場にある者』になります

『自分を脅かす者は存在しない!』
というくらいイケイケな方も

時期が来たらその考え方と立場を

いつかの自分もそうだったイケイケの他者に明け渡す時が必ずくるのです

しかし
幼い時から『圧倒的な不条理』と向き合ってきた方というのは
やはり『オーラ』が違います

『圧倒的な不条理』とともに生きてきた方というのは
求心力が違うなという感覚がします

赦し(許し、恕し)をしないでも 
どこかそこに『いい意味での諦め』を形成していることが多いのです

これがある意味、本当の『恕し』になっていたりします

ともに
『不条理と生きる』が恕しなのですね

しかしそうは言っても苦しいのが現状で

そこにおいて何故か 『怒りの処理』とか『殺意の処理』が
カウンセリングでできるようになってきたというのは
面白い世界の動きだなとみています