メビウスの輪

(写真の輪の形状はメビウスの輪ではありません)

『悪』というものを眺めています

我がスーパーバイザーは精神科医でもあり 
司法の場でも精神鑑定などもするので

育ててもらう時に、よく
『悪』というものの存在を考えさせられるお題を出されていたりもしました

モチのロンですが そうは言っても
『悪』の取り扱いってのはいまだによく分からない

どう自分の中で落とし込めば良いのかも分からない

有名どころで『悪』というものをはじめて理論づけた方は浄土真宗の親鸞です

その親鸞が『悪人』というものとは
どういうものか ということを説き明かした

それを
親鸞の弟子が

師匠である親鸞の教えてくれた『仏の道とはどういったことか』『悪人とはどういう存在か』ということを
歎異鈔(タンニショウ)という書に書き
後世に遺したものです 

なので親鸞自身が記したものではないのですが
近しい弟子が親鸞のことを想い記したものとして有名です

その中で親鸞が言ったこととして

善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。

があります

これは善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われるという意味

この本は
閻魔様などが
裁く目線から書いている本ではなく
『仏(阿弥陀仏)の都合』から書かれている本です

阿弥陀仏にとっての仕事は人を救うことだから

人間が『自分を救うのは自分だ〜〜』と言っている間は阿弥陀仏のお力である他力本願に触れられずと書いてあります

『そのゆえは、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず。』

『なぜならば自分の力で後生の一大事の解決をしようとしている間は、他力をたのむことができないので、阿弥陀仏のお約束の対象にはならないのです』

ということが書かれている

私、これを読んだ時
え??と思いました

めっちゃ仏の都合やんけ・・と思った節があります

だから私は『他力本願(つまり仏の意志により救われる)』なんてそもそもの夢物語で
味わったこともないし 知らんわ!と
そっぽを向いていました

けどもその『自分なら出来る』などという自力を捨てた時に

『阿弥陀仏パワー!』みたいな他力が発動してくるのを
カウンセリングではよく見かけます

 

もちろん瞑想も進めるポイントは『自力を手放すこと』です

こうすれば良いんだ
とか
自分を律する
とか
自分はこう生きるべき

みたいな『りきみ』を身体から徐々に抜いていくのがポイント

そうすると自然にあちらから他力が近づいてきます

私自身も『私なら出来る』という自力とりきみを捨てることが大事と教えられてきました

私のエネルギーでやってるのよ!みたいな傲慢な感覚を持っていると
どうやら介入のエネルギーは変化してしまうらしく
次第に使えなくなってくるらしいです

これをきいて思うことは
最初は正義とか 人はこう生きるのが正解だ という信念を持っていると

その信念は次第に人を選別し始めるように変化してきて

その『選別の意識』が『悪』を産むのでは・・と思うのです

 

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スーパーバイザーが教えてくれたことは割とシンプルです

『潔癖にならないこと』

潔癖であろうとすればするほど
悪は際立ち
その人の中で存在感を増すようなシステムになっていきます

『菌はいけない』
と排除し続けると
排除することにばかり 心が持っていかれるようになり
次第に菌の存在が その人の心の中で大きくなっていきます

その菌の存在は次第に
その人の中で違う意味合いを帯び
その人自身の精神を 分断する働きをするようになります

 

カウンセリングで特に私が注目する感覚があります

『〜〜〜してはならない』という『悪』を排除する心の働きです

それと共に
自分のなかの、私の心の中も注意深く観察します

カウンセリングでよく陥りがちな罠として
『原因を特定する』という感覚があります

例えば『母が毒親だったから 今の私がこんなに苦しいのだ』
という自分の中での生きづらさの原因を特定する心の働きです

これは一時期は回復の道を進める感覚ではありますが

途中段階から
全く別の様相を表してきます

親のせいだ と恨み続けることで
親の存在がどんどん大きくなってしまい
その恨みから抜け出せなくなってくるのです

悪と認定してしまうと
悪は悪としてもっと輝きだす

そしてその人自身を分断する働きをする

悪って面白い働きをするよね・・・と見ていて思うのです

悪を悪と思って追いかけると
次第に悪から追いかけらたりしている

 

カウンセリングの途中から介入では
その人自身が持っていた『魂の器』を大きくするように育てていきます

失敗することが悪ではなく
間違えることも悪ではなく

そして悪に捕まってしまっても
自分の力のなさを諦めることで 他力に触れられる

・・・他力がどんな形でもたらされるかは分かりませんが 
   心が救われるという体験を感じることで本髄の『慈悲』に触れられる 

とかくセーフティーネットは たくさんあるのだと気づいてもらうこと

悪の存在があるからこそ
阿弥陀仏の加護に触れられるということも多々見てきました

仏の世界
神の世界のシステムは『メビウスの輪』のようです

表を追っていたと思うと
裏になっていて
裏を追っていると思うと
いつの間にか表になっている

表と裏が同時に存在しているとう状態は
現段階でリアルに触れられる宇宙では『メビウスの輪』しかありません

なぜ表と裏が両立するのかわかっていないのがメビウスの輪です

善と悪みたいなの分断してを追いすぎる思考状態は
その人自身を分断するのかもしれません

だって、人間は悪も善も一緒に存在している稀有な在り方なのですから

   

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