どの世界にすむか

『催眠にかかる』とは
『その人の世界観でものをみる』ということです

生まれてきて最初に影響を受けるのは
ほとんどの方は親からですが

分かりやすい例で人間が最初に影響を受けるのは

『親の世界観で世界を見るようになる』ということです

私の母親は宗教をやっていましたが
その母の世界観ではこの世界は『地獄』と、私は見ていました

まず禁止事項が多すぎでして
『鳥居くぐったら 罰が当たるよ!』から始まる

そんじょそこらに在る鳥居の下⛩を潜ったら
神様から『罰』が当たるよ
という
『罰』を持つ神様が 母親の世界には存在するわけです

この世界観には幼稚園の頃から違和感がありました

だって普通に鳥居の下を通っている人がいるのだもの・・

ジョギング途中の人とかが、なんの屈託もなく鳥居をくぐっているのを見ていたが
その人たちには『罰』があたってるようにはどうにも見えない

じゃあ『母親のいう神様』ってのは何なのか
という時に
それは
『選別権を持つ神』なのかと理解したのです

『選別権を持つ神』とは
『善悪』とか『正しいか間違い』とかを裁く神になります

結構、この神様の存在は 私たちにプレッシャーを与えてきたりします

そりゃそうです
だって神の意にそぐわない者には罰が当たるのだから

罰っていうのは
昔は『穀物が採れない』とか『天変地異』などが『罰』で
それは大抵『人間の手に負えない』ことが『罰』とされてきました

だから生贄とか
占いだとかが発展して

その『予測できないこと』を
何とか予測できるように 人は『神』という概念を使い
世界のカオスを整理しようと思ったのです

カオスが カオスのままで平気だったら
人間はここまで世界を発展させてきたかわかりません

世界が『意のまま』になるように
神との対話をしたいというのが、人間の願いなのかもしれませんね

そこから

『女性が子供を産むときの子供の性別』とか

『子供が無事産めるかどうか』とか

『病気が治るか』

など
『人間が理想とする生き方が与えられないと
それはすなわち罰となる』

と、神の眼差しが変化してきました

俗物化してきたとも言いましょうか

面白いことに思考が現実を本当に創るのだなあと思うのですが

思う・・
すなわちまず『想像』して『創造』することが
世界を創ることになってくるというのは本当で

先ずは『想像力』がどれだけあるか

ということが人間の中での最大の能力なのかと思う

どれだけ『思う』ことができるのかというのは
一種の特殊能力みたいなもので
人間は強く思ってしまえば 大抵のことはその通りに
物事が進んでしまったりもするのです

ただ、そこに介在する『神』が
私たちの『想像』を難しくさせてしまっているのも確かです

『手段』として存在した『神』が
『目的化』してしまったことが
この世の中を複雑化しているのかなと見ています

さて、こちらにいらっしゃるクライアントさまの頭の上を
少しチラリと見させていただくと

『代替え』的なことがちょくちょく起こるのが面白いのです

何か『守り』的なものが、その方のなかで『想像』し『創造』できるようになると
途端に雲間が晴れたかのように明るい雰囲気でその方が包まれ始めることがあります

けど少し邪な『守り』だったりすると
影がかかったかのような雰囲気になったりもします

だからその方自身が
どういう世界に住んでいるか

その世界で どの神さまを頭上に拝してるか
は周りからは結構お見通しだったりもするところがあります