物語が美しい

人の見た目について言及しない国、スウェーデン

スウェーデンは人の見た目について言及しないという

あの人の見た目がどうの こうの
・・・と言うことはモラルに反するということを子供でも知っているらしい

勿論
太っている とか
醜い とか
可愛くない とかが人を傷つけるから言わないでおきましょう というのは
どこの国でもマナーとしてあるが

『美人ですね』とか『ハンサムですね』といった
日本だったら『言ってほしい褒め言葉』と受け取るところも
スウェーデンではNGなのだ

差別を生み出すと分かっているからだろう

『見た目が何に関係するのだ』
ということが浸透している国だとも言える

『ママなのにお洒落』『パパなのにお洒落』

私たちの周りには結構『見た目』に左右されていることが多い

ある雑誌を見ていたら『ママなのにお洒落』みたいな特集がされていて
なんだか面倒臭い気分になる

どんな役回りだって
お洒落をしたい人はすればいいし
したくない人はしなければいい話なのだけど

外見が周りにアピールする力ってのは
そんなに影響力があるものなのか・・・と不思議な気持ちにもなると同時に

反対に『パパなのにお洒落』ってないよな・・とも思う

このあたりは掘り下げると
ご飯茶碗軽く三杯くらい食べれそうなのでまたの機会にするとして

『美しさ』とは

私が小さな頃に読んでいた本があって
それは写真集だったのだが
題名が『美しい』という本だった

その本はありとあらゆる風景と人が載っていたものだったのだけど

その中でも印象にあるのが
見開きの半分に
玄関にきちんと脱がれて靴が整列された写真と

もう半分は
同じ玄関に乱雑に脱ぎ捨てられたさまざまな靴が散乱しているという
それが見開きの右と左にそれぞれ載っているというページがあった

 

・・・どちらも美しいもんだ

と当時の私は思ったのを覚えている

 

靴を脱いだ後きちんと並べる所作も美しいであろうし
勿論並べられた靴たちも美しかった

けど

急いで帰ってきたのか
脱ぐ間も惜しいとばかりに投げ捨てられた靴のそれぞれにも
ストーリーがあって美しかった

この靴の持ち主は帰ってきて早くおやつが食べたかったのかな
それとも、トイレに急いでいたのであろうか

とその脱ぎ捨てられた靴から立ち上る物語を、私は感じてしまい
乱雑にすぎないとは思えなかった

 

どちらも美しいのだ

 

 

他にも見開きには老人と幼児の写真もあったりした

勿論どちらも美しかった

若々しさと みずみずしさのある幼児は未来が透けて見えるようで美しく
反対に
憂いを帯びた眼差しと皺の美しさに気付かされたのは老人の方だった

老人には『物語』があって
それはそれで目を惹きつけられる美しさがあるものだとも思った

ステレオタイプの『美しさ』

カウンセリングでのお話を聞いていると
割とステレオタイプの『美しさ』にとらわれている方が多いなと思わされます

どこかで見たような喋り方と
どこかで見たような眼差しと
どこかで見たような首の傾げ方と
どこかで見たような笑い方

何かを真似しているのか

モデルとなる方がいるのか

どこかで教えられた美しさであって
それはなんとなく量産的な美しさだなと思い
演技性を感じてしまうと
途端に少し物足りなくなってしまう

自分に『物語』を贈る

私は『個のもつそれぞれのストーリー』に美しさを感じやすい性質なのだと思います

美醜とか
優劣とかをも巻き込むくらいの
その人自身の生命力みたいなものの表われを見た時に
美しいな・・という感受性を自分に感じます

それはどちらかというと
『生きる泥臭さ』みたいなものが垣間見れると感動します

あまり作られた流行りの美しさは
『通用しやすい』のかもしれませんが
目が慣れてしまっているのかもしれません

 

私たちは『美しさ』みたいなものさえ『洗脳』されていて

綺麗でツルツルしたストレートの髪が美しいとか
美白が美しいとか
毛穴がないことが美しいとか

美しさの『見本』が垂れ流しにされていて
それに惑わされてしまっていることが往々にしてあります

縮れた髪の毛は美しくないのか
そばかすってダメなのか
毛穴があったらダメなのか
ムダ毛が生えていたら性別捨ててることになるのか

アンドロイドじゃないんだよな と思うのです

 

美しさを
自分に見出せる人になったらいいと思うのです

それは自分に『物語』を贈る行為です

自分の『時間』を祝福する行為です

   

Instagramはじめました カウンセリングルームの様子を よかったらご覧ください

 

↓TOPページへ戻る↓ユークリッド・カウンセリング ご予約・お問い合わせ等はこちら