巣立ちと無意識

自己との対話

魔女の宅急便という映画をご存知でしょうか

美しい映像のジブリの名作です

(注・このブログは少々のネタバレを含みます)

 

この中にジジという黒猫が出てきます

このジジは主人公の小さな魔女の相棒

小さな魔女はキキといい13歳の女の子なのですが
魔女のしきたりとして
13歳で家を出て一人暮らしをして生きていかなくてはならないというものがあるのです

キキは13歳になりジジと共に家を出て
一人暮らしをして 仕事をして・・と生きていくのですが

キキが無鉄砲なことをすると
黒猫のジジが注意をしたり諌めたりするのです

もちろんキキが失敗したり
落ち込んだ時もジジはそれなりにアドバイスしたりしますが

そのジジの立ち位置は『キキを助ける』もので
いわば保護者的なニュアンスがあります

 

その映画の中には
キキが息を吸うくらい自然に出来ていた魔法が効かなくなるところがあります

ホウキにまたがっても飛べなくなってしまうのです

それまで簡単に、自然にできていたことができなくなってしまう

それと共にジジの言葉も分からなくなってしまうのです

何を訊いても
ジジは喋らなくなってしまい
キキは保護者的なものと 
自然にできていたものの両方を失いかけ寝込んでしまいます

絵描きのアドバイス

そんなキキに

『あがいて あがいて そして何もしない』

とアドバイスをする絵描きがいます

『それまで自分がやってきたことが人の真似だと気づいてできなくなってしまうんだ
 でもそれでも無性にやりたくなる時があるんだ それを待つんだよ』

と言うのです

 

生き方の極意が極まっている映画だなあと思うのですが

カウンセリングでの『試練』は『恵み』である

人の真似をしてきて
人に守られて生きてきて

それを脱する時

人はとても苦しみます

 

実際、カウンセリングの臨床でそのような『試練』がくる方は多くみられます

しかしそれは『恵み』だなあと思う時でもあります

人が通るべき『思春期』を通らせられているような感じです

思春期をきちんと通過した人は
その後『大人』になります

自分を客観的にみられるようになり
大人としての責任が取れるようになります

苦しかった思春期をきちんと通過したので
『人の思春期の痛み』にも共感ができます

 

思春期というのは
『脱する痛み』を伴う時期でもあります

母親や父親的な親の『膜』から抜け出る時期でもありますが
これをきちんと脱することができて
人は初めて『自立』に向かい始めます

ここで親の『膜』から抜け出で切れなかった場合

親との癒着が起こります

親自体も
子供を手放す気はないですから
ますます親子が密着していきます

何をするにも『親』に『生き方を聞かなくてはならない』

自分で自分の人生の責任を持たざるを得なくなっていくとき、人は苛立ちを覚える

劇中のキキも
わりかしジジに『生き方を注意』されます

けど自分らしく自分の感情を優先させていくにつれ

『誰かにお伺いを立てる』ということができなくなっていきます

自分で自分の人生の責任を持たざるを得なくなっていくとき
人はとても苛立ちます

カウンセリングでも反発を大いに食らう場面ではあります

 

ただ誰も責任を負ってくれないのが現実

自分の人生って
自分でしか落とし前をつけられないのです

それを突きつけられるのが思春期でありますが
今だとなかなか思春期で親と離れられている人は珍しいかもですね

縦のつながりから
横のつながりへとシフトチェンジしていく大事な時期でもあるのですが

これは何も思春期だけに限ったことではなく

いつの年齢からでもできることです

 

しかも縦のつながりを切ってしまうと
ものすごくご本人は自由になられる場合が多いです

縦のつながりを切ってしまうと

親のことも『一人の人間』として見られるようになります

『保護者』としてのこちらからの眼差しがなくなります

自問自答が変化して無意識そのものになる

また『自問自答』も変わってきます

『ねえ 私どうすればいい』と
自分に必死に訊いていたものが変化します

むしろ自分に尋ねなくなります

己のことは聞かなくてもわかるとばかりに
淡々と粛々と
『自分のなすべきこと』を選び取っていきます

無意識と連動すると言いますか

無意識そのものになっていくような雰囲気があります