毒親のねっちょりバージョン

毒親のねちょねちょバージョンについて

わかりやすい毒親っていうのは
例えば、
暴力を振るうとか、暴言を吐くとか、お金を渡さないとか
食事を取らせないとか、明らかに人格否定をしてくるというもの

しかし、クライアント様を見ていると
そればかりではない、毒親って言うのも多く見られます

『先回りする親』にやられている方の多いこと!

気を削ぐ対応をされるというのか

子供が、その年齢とともに親から離れて冒険に出る
・・つまり行動範囲を広げていくというのは大事な発達の段階ですが

その子供の行動範囲を広げたい!という大事な欲求を削いでしまうという親が
とても多いのです

しかもその削ぎ方が
『あなたには無理よ』とか
『危ないからやめときなさい』とか
『そんなこと誰もやっていないよ』

などなど、まるで『もぐらたたき』のように
子供の『やりたい!!』を叩き続ける親です

人間には大事な発達欲求というものがあり
それの一つが『自分を試してみたい欲求』です

自分の力を試してみたい

この感覚は、自分のことも見定めなくてはならないし
試す前に勝算なども計算しなくてはならないし
そして何より、『思い切りの良さ』っていうものも必要になる感覚です

複合的な色々な要素を孕んでいる欲求が
『自分の力を試してみたい欲求』なので

そのチャンスを潰されたり、気持ちを否定されたりすると 
結構長く子供はフラストレーションを溜めていくことになります

もちろん自分の力を試したがる子供を見守るというのは
親にとってはとても負担が強いられるものですが
ここは、辛抱が必要なところなのでしょうね

しかし、クライアント様の親御さんのケースを見ていくと

これでもか!というくらい
もぐらの頭を叩いて

子供の『自分を試してみたいという欲求』を潰しています

そのハンマーとなっているのは、非常に『優しいお言葉』なのです

真綿で首を絞めるとは正にこのことだなと思うのですが
的確にじわじわと首を絞めていくあたりは
確信犯でないとできない芸当よね・・と思うのです

なんでこんなにも子供の行手を阻むようなことをしてしまうのか
というのが謎だと思いませんか

それには『嫉妬』と『不安』が入り混じった感覚を
親が子供に対して持つからです

ある方がカウンセリングで
『私は望まれて産まれてきていないから・・』と
おしゃっていました

そうだとすると
子供自身は『居場所』という感覚もないように
思ってしまうのかも知れません

確かに
『自分は他人に望まれている』という感覚は
甘美な陶酔した感覚を及ばせられるものですので

この感覚を味わってみたいという気持ちもあるでしょうし
この陶酔感を手に入れたら、
不安な感じも無くなるように錯覚するのかも知れません

しかし、実際に
望まれて産まれてきた・・というようなバースプラン通りに
『親に計算されて創られて』きた子供も
みていると、なかなかハードそうなのですよ

親自身が、どうしても『自分たちが作った(創った)』という感覚が強ければ強いほど、

子育てにおいての『予測できない』ことが起きてしまうという失敗を受け入れられないようです

人生をそれなりに計算している限り
責任?みたいなモノを自分自身に課しているように感じられるのかも知れませんね

だから『好きなように生きたい』という子供のチャレンジ感覚は
計算してきた親にとっては
刺激どころか、恐怖にもなるのです

勿論、
シミュレーションどおりに行かないのが人生ですが

シミュレーションから離れかねない行動をとる子供に対しては
なんとかして『阻止』したいという親の感覚は
子供からも透けてみえるようで

子供は持って生まれた折角の羽を折られているようなのを
よく見かけるのです

けど、望まれて産まれてこようが
望まれないでいきなり産まれようが

大事なのは『自分の人生は自分で』
という精神をいつも持ち続けていく勇気を持つことよな 
とも思うのです