何故か、目にとまってしまう人がいる
何を私は判断して感じて
目に止まるのかなあ・・と思っていましたが
そんなに自分の中で優先順位が高い項目の疑問ではなかったので
そのへんにホッポイテおいたことでした
でも最近、それが少しずつ
あちらからきたような感じがしていて
なのでそれをそっと手ですくってみた次第です
なんというか目につくのは『凄み』なのですよ
顔の造形の美しさとかではなかった
若さとかでもなかった
『覚悟』というか
『自分の中で核というものが決まった強さ』
と言うか
そう言うものを持った人がオーラがあるというか
目に留まりやすいのです
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ある方がトラウマが回復されてきて
親からの呪縛みたいなのもとれてきて
自分はこう生きる・・というものを探し始めていました
それは具体的な生き方とかではなくて
介入をするにつれ
『今まで自分を生きてこなかった!』と言うことに気づいてしまい
『自分で人生を生き切るしかない』と言う覚悟のようなものがついてきて
そうすると
その方の輪郭みたいなものが
はっきりするのです
本当に周りの空気から際立って見えて
発光している感じになる
実際、そういう覚悟がついてくると
脇目も降らずに猛進するのでしょうね
ますます最近、輪郭が濃く発光するような感じに見えるのです
正直、そう言う『覚悟』の表れ方が
その人の表面に出てくると
惚れ惚れするくらいに美しいです
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そもそも『覚悟』と言う文字面を見てもわかるように
この言葉は仏教用語です
眠りからさめるという意味でも用いられますが、特に「迷いからさめ、さとりに至ること、真理をさとること」を指して使用されます
決して巷の瞑想でよくある『光が私を包むぅ〜〜』ばかりが悟りではありません
悟る真理って
そんな柔らかな緩いものばかりではなく
『自分』を知ること
なのではと思っています
意地悪なところもあるし
姑息なところもあるし
偏屈だったり
僻みがすごかったり・・など
そんなのも自分です
その恥ずかしくて受け入れたくない自分を受け入れる『器』がカウンセリングをすすめるうちに出来上がってきます
すると
他人の真似をしたりして演じなくなり
自然体でいるようになり
ただそこに咲く花のような美しさが出てきます
不思議なもので
抗わなくなると『美しさ』って言うものは
『自然的な美』のニュアンスを帯びてきます
『周りに迎合する作られた美しさ』はそれはそれで美しいのですが
少し『強迫的』というか
『悲壮感』と言うか痛々しさを感じます
それはご本人が『自分を生きられない』と言う苦しみが
いつもそこに帯びてしまっているからだと見ています
『もう・どんなんだって自分だ』と言う覚悟が決まると
夕焼けとか 花とか 雲とかを見るような
そう言う美しさをその人から感じるようになります
それはそれは美しく
揺るぎない存在感を発するようになられるのです