私は空気じゃない

前の夫が

『妻は空気みたいなものだ』
、と
わたしのことを誉めていたよ
(誉めていたよ!?)

と人から聞いたことがあります

それを私に教えてくれたのは、夫の飲み友達でした

『空気って、無かったら死んじゃうじゃん!
 そういう存在ってことだよ!』

とよくわからない報告を受けたことを
最近、ふと思い出しておりました

その男友達も、夫も、
なんもわかってないな、と
その時うっすら思って 
ますます 心が離れていくようになったのもその頃からです

多分、彼らに 今
『あんなこと言ってたよね』と憤ったところで
彼らはポカンとしてしまうのでしょうね

悪気なんてなかったんだ というかもしれません

しかし その言葉の返しと
その悪気の無さが
余計に私にとって

『男って頼りにならないんだな』という感覚を強めていってしまうことになります

一人の人間が
『空気みたいな存在だ』と言われて 
どう喜べっていうんだろうなと思うのです

けど
それを喜ぶ人もいるらしいしなぁと
わからなくもなります

それより、当時、まずのこの『空気みたいな妻』発言で
憤れなかった自分に『喝』を入れたい

私は元々気が強めと評されがちですが
人十倍くらい『空気を読む』ということに必死に生きてきました

幼少期より
読めずに痛い目をみた事が沢山ありました

『空気を読めてない』と怒られるときの
あの空気感って
めちゃくちゃ独特の雰囲気があると思うのですが

バツが悪い感覚を味わうのが
もの凄く苦手でおりました

『大人の話に入ってくるな』と言われるときの
あの気まずさや

友達に
ジェスチャーや 暗号みたいなもので
やり取りできる親密な関係性を見せつけられて
その、暗号やジェスチャーの意味が理解出来ないと言う事は
『あなたは仲間ではない』
と、
いうメッセージを痛いほど見せつけられる時の
あの、見捨てられ感。

だから
『空気を読む』ことは私の命綱でもあったわけですが

読み過ぎていたら

そのうち
自分の心が読めなくなってしまいました

何を感じているのかも表せなくなってきてしまいました

日常生活において
優先する順位として
『自分の感情』が どんどんランクが下がり

ついに最下位になってしまったときに
誰を生きているのかわからなくなってきてしまいました

これはトラウマとかの話ではなく

世の中の搾取をされた女性に当てはまりがちな状態です

私たちの母も祖母も
『自分の感情』を優先するということを捨てさせられてきた世代でした

ただの少女から
『女』『妻』『母親』などの『称号』を得ると
その度に捨てるのは『ただの少女の素朴な感情』の大切なかけらでした

捨てられてきた『少年少女の夢』や『心』は 
一体どこに言ってしまったのかなと思います

このところクライアント様たちが
ものすごい勢いで
この『男尊女卑』の土俵から降り始めています

自分の中にも『女性蔑視』の心があったりしたことに気付いたりし始めています