最近の我がカウンセリングルームは
なんとなく 鎌倉時代か!! というような感覚にトリップします
なんせクライアント様達と『魑魅魍魎が・・』と
話合うような時間が最近多いのです
この魑魅魍魎(ちみもうりょう)というパワーワードは
先生方から 初めて聞いた時には私も『マジかよ・・』と思いましたが
今では普通の言葉としてまかり通るようになりました
なんというか
その、愛称みたいなものです
なんとなく普通の感覚では理解できないような発言をしてしまう
政治家とか
影響力がある人の 理解できないような振る舞いとかは
この『魑魅魍魎』にやられている場合が多いと
私たちはみています
この『魑魅魍魎』たちは たくさん種類がいて
ものすごく個性が豊かで
言ってみれば 日本古来からの妖怪のような感じです
虐待しちゃう人たちも これにやられている場合も多いです
本意ではないのだけど
この魑魅魍魎たちに『餌』をまかれているのです
どんな餌かというと
『名誉』とか『名声』とか『支配欲』『快楽』とかを満たす方法として
撒き餌のように世間に散らばっています
さてそんな恐ろしい魑魅魍魎たちも
時代とともに変化するのもポイント
怒り とか 恐れ も時代により変化するから
餌の種類も変わるし だから実態も変わるのでしょうね
最近 そんなことをよく考えながら介入をするのですが
イメージとして
なぜか鎌倉時代とか戦国時代がよく浮かぶのです
酒呑童子(しゅてんどうじ)とか 鬼とか
おにに成ろうとして 鬼になってしまったのか・・・
おにになるには 鬼を捨てなければならないのです
まるで禅問答ですね
・・・しかしずっとクライアント様をみていると
これが真髄だなと思うのです
負けるが勝ち
鎌倉時代を思い浮かべていると
私がこの時代だったら 何を『寄るべ』つまり『手綱』にして生きていくかなと
想像します
この時代はご存知 たくさんの宗教が生まれた時代でもありました
それだけ混乱していた時代なのかもしれません
飢饉で何万という人が亡くなっていく時代は
さぞ苦しかったのではと思う
そんな時に
私がその時代に生きていたならばどう思っていたか
怒っていたか
泣いていたか
祈っていたか
何か行動していたか
何かを信じることで自分を奮い立たせていたか
でも面白いなあと思うのは
そんな昔の宗教が 今もこの日本で現存して続いているということです
宗教って 何なんだろうと思う
何かを『敵』とみなさないと存続できないものが多いですからね
今の時代の『敵』は
『思い通りにならない現実』でしょうか
私たちのカウンセリングは『敵』を作らないカウンセリングになります
だから
何かにすがらなくなることがゴールになることが多いです
しかしその場合は
『ただ今目の前にある現実』をみる眼を取り戻すことが大事で
その目を
魑魅魍魎から取り戻すことが先決なのです
Instagramはじめました
カウンセリングルームの様子を
よかったらご覧ください