信じられないくらい時間が過ぎていてブログを出すのを忘れていました
なんたる不覚!
さてすぐ書けるものとして
私の好きな妖怪シリーズ
クライエント様が
実は妖怪だった!ということが分かる瞬間というのは面白い
最初にいらした時に
『あ!これはかの有名な、あの妖怪さんだわ!』と
先生たちと驚くのだけれども
最初は、もちろん申し上げられない
『カッパですよね!』と言われても
『はあ?』となるだろうし
いいえいいえ🖐️
河童さんは、今までカウンセリングにいらしたことはないので
ぜひお会いしたてみたいと思っています
どうやら心優しく不思議な存在としているらしい
さて、うちにくる妖怪さんたちは個性豊かなのです
こんなことを書いて、大丈夫なのか?と怒られそうですが
大丈夫
きちんと許可をお取りしております
ご本人も。ずっと『自分て人間ではないよなあ・・』と思って
生きていらしたそうで
むしろ正体を確認できて嬉しそうなところもあったりするようです
どうやら妖怪は現代ですと
生きられる場所が少なくなってきたらしいのです
素朴な山々で育った私たちは夕暮れ時ともなれば
少し気味が悪い雑木林やらを通って帰ったもので
その時は
そこはかとなく異界の感覚を感じたり
すぐそこに異次元の層があるような気がしたものだったけれども
その
そこに、何か『隔たり』がある
『足を踏み入れてはいけない場が今 そこにある』ということは
昔からよく体験しておりました
簡単な例で行くと
神社や森などは
その『異界との結界の線』みたいなのがよく出現します
数年前にめちゃくちゃ体調が悪かった頃に
何故か神社とか森とかによく行くタイミングが多く
早朝の神社などによく言っていたのだけれども
ある時、、あれは確か栃木の神社に行ってみたいと思い
たどり着いたのが
まだ早朝の時分
降り立った、その神社らしき森を見上げると
明らかに『踏み入れるな』という雰囲気がある
ゴゴゴゴーとした、
というか、『何かいる』という慄くような感覚。
『ああ これは入るな』ということなんだなあ・・と
私はしばらくその神社の鳥居をくぐらずに
鳥居のほとりにある池などをぼんやり眺めることにして
写真なんかを携帯に撮りつつ
その鬱蒼とした山のご機嫌を見ていたのだが
なかなか、その『立ち入るな』という雰囲気はまだあって
そんな中、頭痛がしてきて
空を見上げると
ピンク色の雷というか、雷が
あおい空をピカピカと光らせているのが見えて
うわ なんだこれ
雷ではないよな
だって雲一つないしなあ・・と
この場所なんか違う、なんなんだろと
しばらく止まることに決めたのだけれども
さて車を運転してきた友人がおりまして
その人は『待てないから頂上登ってくる』と
静止も聞かず鳥居をくぐって
二段とびで階段を登ってしまっていった
こんな怖い感じの中、よく行けるよなあなんて思っていたが
数分後訝しげな顔をして森から下って戻ってきた
『歩いている時に
小さな小石のようなものが太ももに飛んできた』
と言う
見て見ると確かに
蚊に刺されたような小さく赤く腫れているものが見えた
『自分が石を蹴って自分に当たったとかではない方向から
明らかに小石が飛んできて当たった』と言うのだ
ふーん、そうなんだ と思っていたら
急にフッと緊張していた空気が柔らかくなった
森を見上げると
もう、なんというか『OK』みたいな
『入っていいよ 終わったよ』的な感じだったので
今度は恐る恐る鳥居をくぐって登っていった
途中途中に、少し寂れた雰囲気はあれど
なんと言うか
何かがいたような形跡があって
例えるならば、千と千尋の『神様がいない時の町』というか
どこかに去られていったあとのような感じだった
登り切ると古代の祭祀の跡だとかがあって
そして
山の頂上は凄い根っこが張り巡らされていた
生命の根源的なものが地表に現れているようだった
なんとも畏敬というか畏怖というか
『入らせてもらってる』感じがずっとあり
これは長居するべきところじゃあないな
と判断してすぐ降りたのだが
山を降りて見上げると
まだ、そこに鎮座している感じがあって
雷みたいなピンクの光の線がピカピカしていて
そこを後にしたのだが
その友人が真っ青な顔でズキズキと骨のところの足が痛いと言い出したのだ
見ると小さな虫刺されのようなあとがあった足が腫れていて
車の運転も足が痛くておぼつかないくらいだと言う
こんな虫刺されみたいなもので
ズキズキとした痛みを誘発するのか?と
でもとりあえず運転してもらい帰ったのだが
後日、何日も歩けないくらい足が痛くなってしまい
大変だったという
その時浮かんできたのは『無視してガンガン入っていったからだよな』
『畏敬の気持ちがないから仕方ないよな』と言う感覚
ーーー
最近、妖怪の本を買って読んでいたのだが(妖怪の辞典は本当に役にたつのだ。
カウンセリングでも悪い妖怪の倒し方はよく用いるのだ)
その小石のことを『天狗の礫(つぶて)』と言うらしい
その時は天狗様のしたこととは思えなかったが
でも、なんとなく
『畏敬の気持ち』と言うのは
人生全てにおいて大事な気がしています
相手のテリトリーに入らせていただく
相手の気持ちを考える
相手の境界線を超えない
入る場合は感謝と畏敬の気持ちを持って入る
それは人生の中の『相手』が誰であろうと
ものであろうと
場所であろうと
大事な気がする
私はアホと言われようがなんと言われようが
スーパーに行っても『野菜』に話しかけます
食べ物に話しかけます
『うちにきて食べられたい人(人ではないけど)〜〜?』と
尋ねて歩きます
すると『はーい』と小さな声で答える者がおります
トマトとか
ほうれん草とか
お魚とか
お肉とか
答えた者
それらをうちに連れて帰ります
そしてブロッコリーなどは痛くないようにゆっくりそっと包丁を入れて
茹で加減なんぞはブロッコリー自体に尋ねながら茹でます
少し柔らかすぎるんじゃないか?とか
まだ硬いんじゃないか?など意識で判断するところですが
もうご本人にお尋ねした方が
実は美味しくいただけるのです
あまり凝った食事は作れませんが
私の作ったご飯は、美味しいとよく言っていただけます
極意は、『食材となる者との対話』
これにつきます
子供達にも伝えて育てましたが
2人とも料理が好きなようで
特に下の息子は、中学の時からお年玉で美味しい食材を買って
自分で料理するくらい好きなようです
目利きの腕が、あるらしく
多分それは対話できるからなのでしょうが、とても美味しく出来上がる
休みの日はよく上の娘が車を出してスーパーまで
子供達2人で料理の買い出しからしているようで何よりのことだなあと思っています
妖怪やら野菜や食材やらとの対話やら
頭がおかしいと思われますが
生きていて、どちらかというと
この感覚はあってよかったなあと思う
高之瀬も、あまりに不思議だといい
『どうしてなのか』と昔訊かれたことがあります
ただ茹でただけ
炊いただけ
焼いただけなのに
味が全然違うというので極意を伝えたところ
みるみるうちに体得して
美味しいご飯が作れるようになったらしいです
おにぎりなんぞは
本当にお米を優しく握らせていただくという気持ちが大切
米の一粒、一粒に
握らせてねと話しかけながら握ります
それを聞いた高之瀬は早速実践しているというが
神楽坂で真剣に野菜とお話ししながら買い物している男を見かけたら
それは高之瀬です
魑魅魍魎や、妖怪や、草花や、他の生き物やらとも
共存して生きていく世界というのはとても豊かです
どれも個性豊かで、排するべき存在ではなく
境界線を守り、お互いに助け合いながら生きていくというのが
究極の私の目標でもあります
どの存在も決して搾取されたり排除されたりする存在ではないと思っています
なので人間世界で頑張って生きている色々な方々などがいらしていただくと
なんとも言えないしんみりとした気持ちになります
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