鏡よ 鏡 

昔は親に愛されている人を羨ましく思い、
そして自分の身をひどく苦々しく恨みがましく思ったものだけれども

今も目につくのは
『誰かに愛されている人』で
やはり、そんな人を恨みがましく思っている節があります

そんな自分をぼんやり眺めていると

昔も今も

欲しいものは『誰かに大切にされている感覚』を欲しているらしいと
自分を慮ることができるのであります

 

ずっと、欲しがっていたのね

 

その、もし欲しがっていたものが自分の手に入ったとして
私は何を感じるのだろうかと想像してみます

おそらく私が欲しかったのは『眼差し』なのだと思うのです

あの、なんというか
慈愛に満ちた眼差しを、いっときでも私に向けてくれたら
私は私というものをもっとふくよかな柔らかい感覚で包めていたのれはないかと思います

 

まずこの世に生を受けてから
自分を一番に写してくれるのは『母親』だといいます

子供は、母親の目に映った自分を見て
『自分とはこういうものなのだ』と『自我』を構成していくのだが

母親が子供のことを
例えば『欠陥品』とか『出来損ない』とか『欲しくなかった』などという『除外』を含んだ眼差しで眺めていたらば

子供はそれはそれは酷く自我を歪めることになりかねなく

いつも自分に対して
罵倒するような感覚を脳内で持つようになります

そしてその声はこう叫びます

『お前はなんて出来損ないなんだ』
『誰にも必要とされてないぞ』
『いなくなれ』
『罰を与えてやる』

なんて酷いのだろう

 

また
母親が子供に対して
『自分の果たせなかった夢を叶える代用品』もしくは『人形』に向けるような眼差しを向けていたならば

その子供は
自分に血が通っていることすら感じられないようになります

いつも母親に食べるもの、着るもの、時間、感じ方、考え方を一方的にねじ込まれ
そのうち
自分が感じているのか
母親が感じているのか
境界線が消しゴムでどんどん消されていくように薄くうすくなっていき

次第に小さな母親がその人の心の中に鎮座するようになります

母神様ですね
厄介です 

介入で見させていただくと
本当に座っているのですよ!

しかも顔が母親で、身体は蜘蛛とかの化け物がいたりします

私、蜘蛛が苦手だから介入中駆逐する際、サブイボたってヒョエーーとなります

実際介入中に
カウンセリング室によく蜘蛛と蜂が出るのす

クライアント様たちは必死で感覚を追っている最中ですからね 

そーっと立ち上がって
がっちり潰したりしています

お釈迦様は『殺生はいかんよ』とおしゃっていたかもですが
逃すわけにはいきません

 

実際、そのように育たれた方は
母親の感覚で生きるようになるので
自分のことを『生きてる生身の人間』と感じられず

自分のことをどこか遠くに感じ、眺める感覚を持たれるようになります

また、この場合
ルッキズムや摂食障害が多く現れるのも特徴の一つです

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回復に時間がかかるのは
小さな頃に『こんな子いらない』ばりに暴言を吐いたり
叩いたりしたくせに

その子供が思春期に差し掛かり
美しく育ち始めると
途端に『私の娘』とばかりに執着し始める親に育てられた子です

母親の気分で振り回される子供は、いわば催眠状態にかかってしまいます

『あれ、あのときお母さんは厳しかったけど
 今優しいから まいっか・・・』となり

子供の頃に受けた暴言や暴力のトラウマ(心の傷)を自分でなかったことにしてしまいます

けども
心のどこかで
『油断がならない』と思っている節もあり

距離感がわからなくて
結局、『疎遠が一番』となっている方が多いのですが

私の見ている範囲でも
『疎遠が一番』だと思います

うちにお見えになるクライアントさまは年齢層もバラバラでありますが

親が自分を虐待していたときの年齢に
自分も差し掛かってきたときに
親がどんなに浅はかだったかを理解する方が多いです

   

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