心は使うもんではなくて
風や光のように そこに ただ在る だけのものだと
思っているのだけれども
いつから
人は 心は 操れるものだと 考えはじめたんかな
と、思う
心を操って
操作して
飼い慣らそうとする 事こそ
催眠術 みたいなもんで
『飼い慣らしたつもり』になって
飼い慣らしたと ほくそ笑んだ途端に
ふと 心の実態が 掴めなくなってしまったりする
まるで 宙を掴むかのような感覚
うちに いらしたクライアント様達は
『心を飼い慣らそう』という『欲求』があることが 苦しみの元だ
と
何となく わかり
果てしない チャレンジに進まれていきます
『飼い慣らしたい欲求』を
『取り除きたいという欲求』すら 『捨てる』
…禅問答みたいですが
クライアント様の
苦しみ に そくしたカウンセリングを進めていくと
皆さま
禅問答みたいな分野に進まれていきます
カウンセリングの範囲外だよ、と
先生方には言われますが
皆さま
自然に 、ニュートラルに
そちらに 向かい
『内的平和』 を 模索していくので
不思議だなぁと思ってみています
ジブリの かぐや姫の物語 を 観ると
とても 切ない感覚になります
『心』をもつことの『恵み』が
どれだけ尊いか
何も感じない
何も思わない
何も惑わない
何も迷わない
…どうせ いつかは その『域』に行くのだから
今は 多いに
『自分を感じられる恵み』を 享受されたら
良いのではないかと思うのです
『恵み』に感じるよう
サポートしていくのが カウンセリングですが
結局のところ
腹をくくって 自分に向き合うのは
他ならぬ 『自分』しかありません
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