息のしやすいところが回復地点

回復には、いくつもの形があるという大事なところを
今回は書いて行きます 

― 他者へ戻る人と、世界へ戻る人 —————————————————————-

私は長いこと、
『回復』とは何だろうと考えてきました

心理療法では、

『人との関係を回復すること』
が、一つの目標として語られることが少なくありません

安心できる人間関係

愛着の修復

信頼

親密さ

もちろん、
それはとても大切なことです

実際、
その方向へ回復されていく方もたくさんいらっしゃいます

しかし臨床を続けていると、

どうしても、
それだけでは説明できない人たちに出会います

その方たちは、

回復してくるほど、
人が増えません

むしろ減ります

予定が減ります

付き合いが減ります

SNSを見なくなります

無理に誰かへ合わせなくなります

けれど、

その分だけ、身体は元気になっていくのです

創作を始めます

庭へ出ます

山へ行きます

川へ座ります

布を縫います

料理を作ります

木を眺めます

時間を味わいます

すると、
『ああ、楽だ』と言われます

私は長い間、
この現象をどう扱うべきなのかと思ってきました

ラカンは、
主体を他者との関係から考えました

私もその考えを、非常に大切にしています

人は言葉を通して主体となり、
他者との関係の中で傷つき

他者との関係の中で『欲望』を持ちます

これは臨床でも驚くほど当てはまります

しかし、
回復していく方々を見ていると、

もう一つの方向があるように感じるのです

それは、

『世界との関係が回復していく人たち』
と表してもいいかなと思っています

人と話して安心するのではありません

木を見て安心したり
水の音で安心する

風で安心する

布を触って安心する

一定のリズムで安心する

時間が流れること自体に安心する

私は最近、

このような回復の仕方をされる方が、
確かに存在すると感じています

もちろん、
これは「人が嫌い」という話ではありません

実際、

そのような方でも、
本当に信頼している人とは、
穏やかに関係を続けていけるようになっているのです 

違うのは、

『他者の量』なのです

他者が少なくなるほど、主体が現れてくる

そんな方がいるなと感じるのです

私は以前、

『孤独を好む人は、まだ傷ついているのではないか?』
と習っていたし、そう捉えていましたが

しかし臨床を重ねるにつれて、

そうとは言えないケースに出会うようになりました

一人でいると、

創造性が戻る

身体感覚が戻る

時間を感じられる

世界の美しさが戻る

つまり、

孤独が防衛ではなく、

『主体がもっとも自然に呼吸できる環境』
になっている人がいるなあということを見てきました


私は
回復には複数の型があるのではないかと考えます

ある人は、
安全な他者との関係の中で回復します

ある人は、
家族との関係が修復されることで回復します

ある人は、
恋愛によって回復します

しかし、

ある人は、

世界との関係が回復することで、主体が息を吹き返していきます

私は最近、
そのような方々を見ていて、
ある共通点に気づきました

自然の中へ行く

創作をする

没頭する

時間を味わう

そして、
誰かに認められようとしなくなる

ここには、

競争がありません

比較もありません

評価もありません

世界は、

その人を採点しないからです

私はこのような方々を見ていると、

ふと、
禅の言葉を思い出します。

『無我』

とは、自分が消えることではありません

世界と争わなくなること

世界と自然に調和すること

私は臨床をしていて、
この状態へ戻っていく方を何人も見てきました

だから私は、

回復とは、
必ずしも

『人ともっと関われるようになること』
だけではないのではないかと思っています

ある人にとっては、

他者との関係を丁寧に育てることが回復だけれども

しかし、

別の人にとっては
他者を減らし

『世界との関係を取り戻すこと』が
もっとも自然な回復になることがあります

私はこれを、
『人間関係を避けている』

とは思いません

むしろ、

主体が呼吸しやすい環境を、
身体が選び始めた結果なのではないかと感じています

回復とは、

誰もが同じ形になることではないと痛感します

社交的になることでもなく
笑顔が増えることでもありません

友人が増えることでもありません

本当の回復とは、

『その人の主体が、もっとも自然に息をしていられる環境を取り戻していくこと』

その形は、人によって違うと思うのです 

だから私は、
『回復とはこういうものです』

と、一つの型に当てはめることには慎重でありたいと思っています

主体には、それぞれの呼吸の仕方があります

そして臨床とは、その人だけの呼吸のリズムを、一緒に見つけていく営みなのではないかと、私は感じています