感覚途絶

 

嫌いと思えない

 

クライエント様の中でも
ある感情、もしくは感覚が途絶しているな・・と感じる方がいらっしゃいます

その感覚、もしくは感情は
ネガティブなもので、世間一般的には『あったら好ましくない』
と思われているものです

それはどんな感情かというと
『嫌い』というものです

もしくは『不快』という感覚とも言えます

 

なぜ、この感覚・感情が途絶してしまったかを今回は考察してみようと思います

 

 

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その途絶の始まりは幼少期だと思われます

そしておそらく
その『嫌い』とか『不快』と思う感覚は
親に対してもった感覚のことがほとんどのようです

幼少期に親に対してどう思っていたか
今もどう思っているか・・に注目して、お話をよくよく伺ってみると

 

『親のことを受け入れがたいが、しかし受け入れないと罪悪感が湧く』

と仰るのです

 

 

私ごとですが
私自身も、このネガティブな感覚が途絶している1人でした

『嫌いだなあ』と思うことや
『不快だなあ』と思うことがほとんどない

むしろ、そのネガティブで嫌な感覚が
身体から湧き起こってくると

何故か自分の頭から

『この人にも、なんらかの理由があってこうなってしまったのだ』と

何故か嫌な人や
ものごとに対して

擁護的で
包括的な理解をしようとしてしまうのです

 

思い返せば
意地悪な人に対しても
私は『意地悪になってしまったのには理由があるのだ』という理解で
向き合ってきたし

とんでもない事をしでかしてしまう人に対しても
驚きはなく
『理由があるはず』と、その人に対して対話をしようとしてしまう

カウンセラーとしてはいい傾向なのかもしれませんが

しかし10年程の間
その姿勢は、明らかに私を蝕んできたのです

 

 

では結局のところ、その『理由』は存在していたのか?
という事ですが

理由は、あるようで、なかった

とも言えます

 

ユング的に『誰かの影響でそうなってしまったのだ』という見方をすれば
その人自身に理由はなく

またフロイト的に『その人の受け止め方』になんらかの問題があるのでは
という見方をすれば
確かに、その受け止め方に、個人の資質や素質がある訳で
理由としては成り立つこともある

 

・・・こんなことを
一生懸命にやってきて

私は一体、何をやってきたのだろう

という感覚にもあるのです

 

もしかして

ーーーー『私は悪人がいるとは認めたくないではないのか』ーーーーーーーーーーーーーーー

 

その微かな自分の欲望として
『悪人がいるとは認めたくない』というものは
自分の中に『在るな』と自覚ができることでもありました

私は、人が
不確定で、頼りなく、すぐ何かに影響されてしまう存在だとは思いたくなかったのです

それは幼少期からの『私の願い』でもありました

 

 

私の親は
とてつもなく頼りない人でした

ご近所づきあいなどのセンスはなく
いつもひとりぼっちで

気に入らなければ
すぐ子供を叩き、殴り

怒鳴り

陰で悪口を言い

実生活では
テレビを見ていて火事を起こす

山で遭難する

よく大型の動物に噛まれる

飲酒で色々しでかす

物を失くす

ものすごく変な髪型にする

夜中にいきなり起こされ『歌え』と言われる

 

ーーーーーーとても生きづらかった人だと今になれば思うのです

そんな母を私は『惨めだな』と思っておりました

『どうして他のお母さんのように綺麗にしないんだろう』
『どうして笑わないんだろう』

と当時の母親を受け入れがたく思っておりました

この
『受け入れがたい』という感覚は
私にとってはとても苦痛なものでした

 

だからだと思うのです

『母だって、実は普通なのだ』『今は理由があって、こんな様子なのだ』

自分の中にあった『母への不快感』を
どうしても消し去りたかったのです

 

2度目の結婚を経て分かったことですが

家庭で生活を一緒に営む仲間のことを

受け入れがたく、苦痛で、しんどくて仕方がないと思う日常は
とても苦しいものです

しかし『苦痛』ということを自覚することは
それはそれで色々な意味で新たな苦しみを生じさせるものです

だから、私は
『自分の中の不快感』・・
『嫌い』とか『不快』『苦手』という感覚と感情になりますが
それを葬り去ったのだと思うのです

 

クライエント様の中でも
このような対処法で生き抜いていらした方は大勢いらっしゃいます

ストレスへの対処法として
人間は『防衛』というもので対処しますが

この場合の
考えられる防衛機制としては

 

1. 抑圧(repression)
• 苦痛な感情や欲求を意識に上げず、無意識に押し込める。
• 「怒りや惨めさを感じない子でいる」ことで周囲との関係を守る。

2. 否認(denial)
• 本来は感じるはずの感情を「なかったこと」にする。
• 怒りや惨めさを感じても、「自分はそんなふうに感じていない」と扱う。

3. 解離(dissociation)
• 感情そのものを切り離して、別の自己状態に追いやる。
• あなたの場合は、これが強く関わっている可能性が高い。

4. 反動形成(reaction formation)
• 本当は怒りや惨めさを感じているのに、その逆の「優しさ」や「強さ」を演じる。
• 幼少期に「良い子」でいることで周囲の承認を得たかもしれない。

が挙げられます

 

 

私の場合
明らかに自分の感情を『捨てた』という感覚があるので

その「捨てた」という表現からすると、もっとも近いのは 抑圧+解離 の組み合わせです

• 抑圧:感じてはいけないと無意識に押し込める。
• 解離:切り離して“別のところ”に追いやる。

その結果として、私は「怒りや惨めさを持たない自己像」で生きてこざるを得なかった
のだと思うのです

 

だから、どことなく
感情を持ち合わせていないような、
地に足がついていないように見えやすく

攻撃しても、無感覚に見えるために
周りからしたら『不気味な存在』としてうつったでしょう

 

しかし本当は
それらの感情は消えていなくて、どこかで形を変えて残っているというところが
あるのです

そして、それは何十年後かに
形を変えて、浮上してくるものなのです

私の場合は、それが『身体症状』として出てきたのがきっかけでした

 

記憶が出てこない
頭が割れるように痛い
目が見えない

ということから気が付いたのですが

他の症状として表出する方も多くいらっしゃいます

 

例えば依存症です

アルコール中毒、性依存、関係性依存、買い物依存
などがよく見られる症状です

しかし依存症は
『昔、葬り去った感情』となんとか折り合いをつけるために
自らのバランサーとして出てきたものですから
今のご本人の人生を支えるものとしては大事なのです

だから、依存症だけを治すということは
ご本人のバランサーをとってしまいかねないので
かえって、苦しい思いをさせてしまいかねません

 

その場合は、バランサーとしてのものはそのままに。

内部の『葬り去った感情、感覚』を癒していくことがとても大切なのです

 

私の中の『葬り去った感情・感覚』は
『嫌い』と思う感覚でした

『母親を嫌いになっては生きていけない』と
小さな頃に、察した私が

『母親を嫌いな私』ごと、
自分の中から切り離したのです

 

 

ーーーーーーーーーーーーさて

今は『嫌い』という感覚を取り戻し始めておりますが

その取り戻す過程と言ったら
苦しくて仕方がありませんでした

それまで『麻痺』させてきたものを
きちんと、一つ一つ感じないといけないのです

しかもネガティブな感情と感覚なので
そりゃあもう、苦しくって苦しくって仕方がなかった

高之瀬に『嫌いって、どう感じる?』と尋ねてみたら

『その瞬間はイラッとしたり
ムカついたりするけども、感じたらそれでおしまいだなあ』
と答えていた

 

クライエント様の回復にあたり
最終章となるときに
『自分の感情、感覚を取り戻す』という作業に入ることがあります

それは、ずっと昔からのしばらくの間
自分の中から『葬り去った感覚』でもあるので

再会の過程は
受け入れがたく
苦しく、しんどいことがほとんどです

しかし、それらが自分の身体に戻ってくる時に

初めて『自分の感情にOK』を出すことが出来るものなのです

さてそうすると何が起こるか

・・・かつてから欲しかった
『自己肯定感』に近しい感覚が
どこからか自分にもたらされるから驚きなのです

   

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