物語の中には影の存在が欠かせない

 

影とは一体どう言うことがというと
主人公の周りで主人公を引き立てるような役柄だったり
もしくは
主人公の『見えざる部分』だったりするのだけれども

 

まずは『引き立てる役が、準備していくこと』のことについてのお話

必ず物語には『盛り上がりに向けての序盤』があります

これがないと物語は奥行きがなく薄っぺらく感じてしまうものです

日本の神話で『大国主の国譲り』の場面があります

大国主は多くのお兄さんたちがおりました

ある時に因幡の国で美しい姫が婿を探していると聞きつけて
兄弟たちは皆で求婚しに行きます

もちろん大国主も行くのですが
兄さまたちに沢山の荷物を持たされてついていくのが遅くなってしまいました

先頭をゆく兄さまの集団が海に差し掛かった時に
泣く声がどこからか聴こえてきます

何が泣いているのだ と目をやると

そこには赤く皮が剥けて痛々しいウサギ🐇が泣いていたのです

どうして泣いているのだと尋ねると

ウサギは
『あちらの陸に上がるためにサメを騙したら最後の1匹に
嘘がバレてしまい そして皮を剥かれたのです
痛くて痛くてたまりません
どうか助けてください』

というので

兄さまたちは『それでは海水で洗ってよく風で乾かせばいい』
と言い笑ってそこを去りました

ウサギはいう通りにすると
傷口に余計に海水が沁み、風に吹かれてそれがヒリヒリと
激痛になってしまい
もう痛くて痛くて、もっと大声で泣いてると

そこに通りがかったのは兄さまたちの荷物を沢山抱えた大国主です

泣いている理由を聞いて、ウサギを不憫に思った大国主は

『よく真水で洗い、そこの、がまの穂で体をよくまぶしなさい』
と教えると
ウサギはみるみるうちに
身体にフワフワの毛が元通りに生えてきました

すっかり感謝したウサギは
大国主に予言をします

『今からいく因幡の国のお姫様は貴方を夫にするでしょう』

 

・・・結果

大国主は無事に妻として
因幡のお姫様を迎えることになるのですが

 

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ここでも『影』となる役割の人が多く出てきます

まず兄さまたちの存在です

我、先に!とゆく者たちですが
ここでも何かと楽をしようとします

道を急ぎ 道端の助けを求める声にも意を介しません

それどころか、なんの腹いせか
全く治るどころか悪化させることをさせて去っていってしまいます

そして道を急いでも結局
後から自分たちがバカにしていた存在に先を越されてしまう

 

そしてもう一つは
『ウサギ』の存在です

助けを求めるようなか弱い存在だった者が
実は予言をする神だったというオチ

 

・・この話のようなものは世界中にもよくあって

乞食(原文のままですが)が家の扉をたたいて物乞いをする時に
あまりにもみすぼらしいと断った家は
どんどん家に活気がなくなっていき

そして身なりなどを気にせず
温かくもてなした家は、その後に富めるようになる

という話は西洋圏でもよく聞くお話

 

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影の存在というものは物語の陰影を強くする役割がありますが

『単なる予言されました』みたいはお話ではなく
必ず『伏線』があるところが物語にはあります

この『伏線』のようなものを
カウンセリングではよく見かけるのです

 

これは、ものすごく『めんどくさい』こととして
今目の前に立ちはだかってるけど
おそらく、この経験で知り合う人や物事や知識が
この人を別の次元に連れていくのだろうなあ

と思うことは毎回あります

 

物語の面白いところは
人生のそんな『伏線』への気づきかたを教訓として教えてくれているところです

そんな中でも
必ず主人公という存在がありますが

でもその主人公の前に立ちはだかる存在というものが出てきます

その『立ちはだかるもの』への対応も
また次への伏線になるところが面白い

 

この物語は、兄さまのウサギへの意地悪が『前フリ』として無かったら
成り立たないのです

 

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よく職場や学校で意地悪をされてしまう・・という方や

なんとなく蔑ろにされていたり
疎外感を感じる
という方は
もしかして、それ『伏線』かもよ・・と思うことがあります

なのでその伏線をどう回収していくか
ということがカウンセリングでもよく話し合われるところですが

 

また
意地悪をしたり驕っていたりしていた人が
自分の行いを悔い改める時の物語の残酷さは
物語とはいえ、かなりの不気味さを持っています

赤い靴などはその真骨頂でもあると思うのだけれども

赤い靴に魅せられた女の子は
寝ても起きても赤い靴のことばかり考えていて

教会には『黒い靴で行きなさい』と
大事に育ててくれているおばさまに言われても
いうことを聞かずに毎回赤い靴を履いて出掛けてしまいます

何度神父さまに注意されても言うことを聞きません

ある時1人の兵隊さんが赤い靴に話しかけた途端に
赤い靴は1人でに踊り出します

女の子は踊る靴から足を脱ぐことができません

周りに押さえ込まれて、なんとか赤い靴を脱ぐことができましたが

でもそれでも女の子は赤い靴のことを一日考えています

そんな折に
女の子のことをとても大事に育ててくれたおばさんが病気になってしまいました

恩人でもあるおばさんの看病の時も
女の子は赤い靴のことが頭から離れずに赤い靴を履いてしまいました

するとその赤い靴は女の子に履かれた途端に足から離れずに
ずっと踊り続けるのです

朝から晩まで、眠る暇もなく
病気のおばさんを放ったらかして
女の子は赤い靴の踊る方向に踊り続けるしかありませんでした

何日も何日も踊り続けて
やっともとの街まで戻ってきた時に目にしたのは

あの自分を大事に育ててくれたおばさんのお葬式でした

それでも女の子は赤い靴を履いたまま踊り続けるしかなく
お葬式に参列することも叶いませんでした

踊り続けた女の子は身体もボロボロで森に差し掛かった時に
例の兵隊さんがおりました

女の子は兵隊さんに頼みます

『どうか私の足を切り落としてください』

切り落とされた足と赤い靴は
そのまま踊り続けてどこかに行ってしまいました

自分の行いにようやく気づいた女の子は
その後慈善事業をすることにし

余生を、自分自身を悔い、自分の行いを改めることで
ようやく赦されたのでした

 

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とあるのですが
これ、めっちゃ怖いのですが

でもある意味『鬼だし』と近いニュアンスなのです

 

本当に大事にしなくてはいけないものを蔑ろにしてしまう

でもその大事にしなくてはいけないことよりも
快楽や怠惰、傲慢、強欲が優ってしまう

『大事にすべきこと』と言うのは面倒くさそうに見えてしまうし
大事にされてきたことに感謝を感じることができない

そして手取り早い快感を得たいと思ってしまう

 

この場合の『赤い靴』はカウンセリングで言う『鬼』ですが
『引き返せる時期』を逃すと
自分の一部分までも失ってしまうと言う結末ですが
でも、よく実生活でこれはあるのです

この場合の『影』は自分の一部分でもある『足』でありますが
でもよくよく読むと

女の子の心の中にある『我慢の出来なさ』や『短絡的』なところ
などが『赤い靴』に喰われていく様子は
本当によんでいて今も恐ろしく感じるものです

 

『赤い靴』はアンデルセン童話ですが
アンデルセン童話は
人魚姫
みにくいアヒルの子
雪の女王
マッチうりの少女
親指姫

など
どちらかというと切なく哀愁が漂うお話が多い童話です
なんとなく物語の多くは冬など季節感を感じるものが多い気がします

 

対してグリム童話は、
白雪姫
ラプンツェル
ヘンゼルとグレーテル
赤ずきん

など近親者による殺戮や、食べる系が多く今風に言うならばグロいとも言いましょうか。
でも現代でも人気が高い物語

 

イソップ童話は
おおよそが動物が主人公で教訓のようなものが多い物語

うさぎとカメ
北風と太陽
ありとキリギリス
金の斧 銀の斧
オオカミ少年

など『嘘を付いてはいけない』『人にお願いするときは優しく』
『途中で気を抜いてはいけない』『計画的なことの大事さ』

など人間が主人公だとお説教じみてしまうものが
動物がユーモラスに悔しがったり、出し抜いたり、競争したりする様子を
豊かに描いてるので
これはこれで傑作揃いだと思うのです

 

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私たちの周りには、そして心の中にも、心的風景の中にも
物語というのは存在していると感じる時があります

その時に一つの主人公だけの物語ではない
むしろ、周りの影となす存在が、私は大好きであります

そして、その影も実はある世界では『主人公』だったりもするわけで

その今まで報われないと感じている
その感情こそが
実は
次のページの伏線となっていると
いつも感じながらカウンセリングをしています

 

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