見守ることのしんどさ

前回は『感情』を奪うということについて少し書いたが
今回は『行動』を奪うということに関して書いてみようと思います

 

『行動』を奪うとは
本当んどの場合は『親』からなされるものです

親は何故『行動』を奪うかとかというと
『親自身の不安』に耐性がないからです

また『子供』を自分の分身のように思っていると
子供を失うということで『自分自身』も傷つくかもという恐れから
子供に冒険と経験をさせません

その親の気持ちは私もよく分かりますが
でもそこで、親には『堪えること』を修行としてするべきなのではと思います

 

子供は思春期あたりから
世界を広げ始めます

これはどの動物も同じこと

親の『庇護』と『守り』の世界から
『自分だけが知っている世界』というものを欲求し始めます

 

自分が感じて
自分で決定して
自分で行動して
自分で成し遂げる

 

という体験は非常に大切です

 

 

現代の日本人のほとんどは『自信がありますか?』という質問に
『無い』と答えるということですが

日本人以外の人にその同じ質問をすると
『自信ある』と答えるらしいです

『なんで自信があるのですか?』と尋ねると
『なんとなく、なんとかなると思っているから』と答えるらしいです

 

これは非常に面白い答えで

「自信というものが『なんとなく在る!』」と感じるのはどうしてですか?

と掘り下げると

 

『自分でなんとかできるから』と答えると言います

 

 

そうなのです
自信とは『自分の経験』であり

その経験の一つ一つを
『自分で経験したから、たいていのことは自分でなんとかなる』と思っているものが
自信の正体だということなのです

 

昨今ですと
『自分の器量』だとか
『どれくらいお金があるか』だとか
『パートナーがいるから』などという
外的なものが自信になるかもしれない・・!と
そこを追い求めがちですが

でもそれより何より

『自分でなんとか生きていけるから』という一見根拠のないものは
実は『経験をしているから』ということから導き出されたものなのです

 

自信がない時は
とかく動くしかありません

若い人が世界を旅するだとかも
言語も通じない世界でも生きてこれたという経験が
自信になっている方もいるかもしれません

 

ーーーーー

 

この『経験不足』は
私も先生から指摘されたことでした

私自身が・・ではなく
娘のことを指摘されたのです

 

『ちょっと箱入りだから気をつけるように』と言われたのですが

むしろ私は周りのお母さんたちに比べて
自由にさせている方でした

 

『これでも箱入りなんだ・・!』と驚いたのですが

でも言われたことは、そうに違いない

注意して自分を観察していたのですが
でもよく見ると
子供の方が、親を求めているという感じが最初は、いたしました

嫌なことがあったらすぐ喋りにくる
甘えてくる

などをされているなあ・・と感じたのです

 

でも、これ実はトラップで
私自身も、私なりの『恐れ』があったのです

私は『自分の母親のように虐待しない』という強い思いがありすぎて
反面教師として
『よく聞く』ということをしていました

なので、よく聞きすぎていたのです

 

子供の心の拠り所になりすぎてるんだわ・・!
と理解した頃に

私の中で『夫と離婚しよ』と心も決まって

するすると離婚に至りました

その頃の子供たちは、不安定になって

すると、私は『寂しがらせたらダメなんじゃないか』という
自分自身が体験してきたことを思い出して・・との繰り返しで

 

でも、よくよく冷静になってみれば

いつまでもずーっと
相談相手が親ってのはヤバい

と気づいてから

敢えて距離を取るようにしました

 

この間はしんどかったですし
心配もあったし
息子に至ってはバイクの大型免許を取ってバイクに乗るとかで

もうヒヤヒヤしっぱなしでしたが

でも堪えました

 

ーーーー

 

よくマリア様みたいになりたいんです・・とクライエント様から言われるのですが
実はマリア様とは豪胆なかたであります

自分の息子が目の前で磔になろうとも

『息子の人生だから』と
見続けた、その肝の座り方はすごいものがあります

ただ癒すとか、そういう存在ではないと感じます

 

とかく見守り続けるということは非常に難しい

 

癒す人になりたいだとかは
『自分が癒す人になることで得られる感情の満足』というものを
きちんと観察してみたらいいと思います

案外コントローラー的だったりするものです

 

私はカウンセリングでは癒すことだけを目的としていません

クライエントさまの方向性に行くだけなので
自分自身では何を目的としているかもわからないと言ったところが本音です

来る方
来る方の『困りごと』を解決するだけで

そこに私自身の癒しなどが発生しないので

だからかえって、いいのだ と師たちからは言われていました

 

あーーーー絵ー描きたいなあーー
と思い続けて
毎日仕事をしている感じです

やりたいことではないけれども
でも、結局は何かに通じているのかもしれないという
淡い期待もありますが
確信はありません

 

でも、この仕事が降ってきたおかげで
世界はかなり広がりました

死後の世界も知りましたし
船が迎えに来るということや
雲が浮かんで迎えに来る場合もあるということもわかりました

直々に菩薩様のような方々が迎えに来る時もありますし

どこかに引きずり込まれていくという世界があるということも知りました

きつい修行が、何のために在るのかということも理解しましたし

魂は四季のように巡るものだともわかりました

 

スピリチュアル嫌いはそのままですが

でも、仏教だとかヒンズー教だとか
キリスト教だとか

信仰や
畏怖するという感覚は大事なのだともわかりました

 

そういえば最近他の宗教の方々と交流する機会が増えてきて
なかなか面白いです

日本では禍々しい存在でも
他の宗教だと畏怖や信仰の対象だったりもする

ヒンズー教などはとても面白く、そしてユーモラスで
かつめちゃくちゃ力があります

 

去年知り合った、タイのある方は、ひっそりと街中で仕事をしているのですが
実は凄腕で、とても『悪霊を追い払う力がある』方でした 笑

ご本人は『タイの神様が追い払ってくれるんだよ〜〜』というのですが

今まで知り合った中で最強の強さかもしれない

 

それもおそらく信仰の力なのだと思うのだけれども
でもご本人は『寝るの大好きだから仕事ない時は全部寝てる』と言います

宗教は違えど 考え方は違えど
色々な人がいて、それでいいのだ と改めて感じるのです

 

私は母親の宗教から『鳥居をくぐるとバチが当たる』と聞かされて
怖がって育ったのですが

でもいざくぐってみたら
バチなんて全くあたりゃしなかった・・ってのも
自分の経験から得た事実

 

むしろ神社は土地の神様がいて
それぞれに全然違うのも面白いし

お寺は、それこそ色々あるけれども
でも今の自分にしっくり来るのは、禅とか
もしくは修行系だとかで

だれそれを宗教に加入させることが
自分にとって救いになるなんていう世界観ではなかった

そういう遍歴も、経験をしたからこそ
『すべて色々あっていいのだなあ』と理解することが
世界への大きな好奇心につながっていって

怖いと思ってたものも、やってみなけりゃわからない という
当たり前のことが実は極意でもあるよなと思っています

 

なので
『肝っ玉が座ってる』
という状態ってのが
一番『自信』に近い感覚なのではと感じます

   

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