光源氏

 

光源氏考察

 

言わずもがな 紫式部さんの書かれた物語です

 

フィクションか ノンフィクションか
モデルの1人が当時の菅原道真 だとか後世に伝えられていますが
・・・・うーん

 

これ 教科書に載せちゃうんだもんなあ

いくら文学的価値があるとは言え

なんかなあ

 

一応『源氏物語』を簡単に解説すると

帝の息子である光源氏は
父である帝の後妻に恋焦がれてしまいます

で関係をもち
子供ができてしまうが それは帝の子供として育てられる

その後も 光源氏は沢山の女性と関係を持つが
その中でも特に ご執心になったのは
父の後妻であった義理の母親に似ている幼女を(なかば無理やり)引き取り
育てあげ その後妻にするのです

 

うー

苦手な感覚を引き起こします

。。。っていう感覚を私は大いにもつのです

これもちろん
古典文学的に貴重なものだとは思うのですが

批判ではなく
系統というか 風潮としてあるのは
理想の女性として
『幼児的なもの』が
多少 存在すると その女性は注目を浴びやすいというのはあると思います

女性も
男性が『どこの部分』を『評価するか』というのは
敏感に察するので

揉めるよね・・

この『揉め事』は ずっと昔から存在するんだなと思うと

あんまりこの国の『性事情』ってのは
そんなに 変化をしてきてないんじゃないかと思われる

むしろ
変化がないからこそ読まれ続けるのかもしれませんが。

 

この男性が求める『女性像』っていうのを
こんなに全面に出した小説が 昔に存在したというのが凄いけど

この 内容に対して
なんだか『そこはかとなく漂う憧れ感』みたいなのが
いまだ日本にあるのには少し驚くのだ

『幼女を育てて理想の恋人にしたい』とか

『誰とも決められない男性に魅力を感じてしまう』とか

フロイトが これを読んだら
どう分析したか と想像してしまう

 

昔の物語というのは その時代の『性』が描かれているもので
私たちの遺伝子や 物語として組み込まれている『洗脳』的な教えを
紐解くのにもってこいなのですが

『女性』ってのは 『腹』として『見られて』いたのが
日本の文化の一つなのではないかなと思う

子供を産んだ母親が『お袋』と呼ばれたのも なんとなく言い得て妙であります

袋状というか
包むものをして存在を要求され続けているのが
『男性に所有されたあと』の状態

どんな無理難題も 包み込んでしまうというような存在か

私たちは
『母親』というと
それなりに あるイメージを想起します

大体は『母性』とか『太母』とかにあるイメージでしょう

けども
一方で それには真逆の側面も女性にはあるよ、、というのは
なんとなくわかるはず

世間の『母親』というイメージとは こうも強くあるのだなと感じるのです

 

ちなみに我がカウンセリングにくる女性陣は
この世間一般のイメージ に少し居心地の悪さを感じながら生きてきた方々が多いです

その『居心地の悪さ』を
どう 自分の中で昇華していくか がポイントであります

さて
晩年の光源氏は苦悩の日々をお過ごしになられる部では
『老い』を認めざるを得ない自分と
過去への後悔に苛まれることになりますが

人間関係だけの 関係だけに興じておられると

必ず直面するのは『老いた自分』だと

古典文学にも書かれているのだなと
不思議に感じます

 

クライアント様達のお話を聞いていると

その家系においての
『性認識』みたいなものを みるときがあります

『少女性を 娘に求める父親』

が やはり多く

結婚したパートナーには

『全てを包み込むような母性』

逆も然り

息子は 『支える存在』として周りから
育てられます

大黒柱って、男性に向けての言葉ですものね

 

 

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