フランシス・ゴールトン
(Sir Francis Galton、1822年2月16日 – 1911年1月17日)は、イギリスの人類学者、統計学者、探検家、初期の遺伝学者である。フランシス・ゴールトンとも表記される。母方の祖父は医者・博物学者のエラズマス・ダーウィンで、進化論で知られるチャールズ・ダーウィンは従兄に当たる。最後の財産のあるアマチュア科学者 (gentleman scientist) の一人として研究に生涯と私財を捧げた(wikiより)
フランシス・ゴールトンは
チャールズダーウィンが華麗な一族の生まれであることから
知能とパーソナリティは何に由来するのかということを研究した人として有名です
彼の遺した研究は
・犯罪場面で犯人を特定するための指紋を利用するという手法を開発したり
・心理計量学という新しい研究分野で、統計的分析とも言われますが
〜〜〜
牛🐄の品評会で『雄牛の重さを見るだけで言い当てた人にその牛をプレゼントする』という
催しがあった際に
それぞれの参加者が、それぞれの推測値を言うのですが
その値を全て集め平均値を求めると雄牛の重さとほぼ同じだったのです
しかも推測値は、皆それぞれにバラバラで全く外れていたのにも関わらずですよ
全員のそれぞれの、てんでばらばらの推測値が
一堂にかいして、そこから平均値を求めると全くその通りの
雄牛の重さになるとのことから
フランシス・ゴールトンはそれを『群衆の知恵』と名づけました
一種の数学的な検証でもあり
データの集合が真の平均値をどれくらい反映しているかということを
表しているのですが
不思議に思いませんか
群衆全員で、はからずとも
まるで一つのスーパーコンピューターのような『頭脳』としての働きを成し得たということ
・・そんなことをも発見したのがフランシス・ゴールトンなのですが
彼がそんな数々の発見などの中でも
やはり目を引く研究が『知能とパーソナリティは遺伝するのか』というテーマです
科学者であったり
知識人であったり
実業家であったり
王族でもある一族がいて(それが先のチャールズ・ダーウィンの一族なのだけれども)
どうしてこの一族には
いわゆる『優秀さ』があるのだろうかという疑問から
『生まれと育ち』が人格や知能にどう関係するのか?ということを
統計をとりつつ研究を重ねたのです
(ちなみにフランシス・ゴールトンは気象学にも業績があり新聞に気象予報図が掲載されたのも
彼の功績の一つ)
ただ、彼の研究は非常に危険な面を孕んでおりました
人工交配で(優秀な人と優秀な人を交配させることで)、
生まれる人を『改良』できるという考え方は
『優生思想』を助長させるのです
ただ、こういった汚点やら汚名を被ったとしても
フランシス・ゴールトンの研究は引き継がれて、現在でも繰り返し繰り返し
人々の思考に上がる議題でもあります
能力が秀でるか、遺伝なのか・・というテーマは
私個人としてはあまり興味がないのですが
この研究の側面の一つの『パーソナリティは遺伝するのか』ということは
とても興味があります
人格は遺伝するのか・・という問いですね
フランシス・ゴールトンの統計と研究によると
『パーソナリティは家族内で似ており、そして教育によってのみ修正される』
と示唆されているのです
さあて
トラウマのカウンセリングで
何故こんなことをブログのテーマにしてイルカと言うと
虐待されてきたクライエント様たちは回復されるにつれて
自分の身体や精神、思考の癖などの中に
『親の残骸』を見つけるからなのです
それが、自分の中から見つかることを非常に恐れ
見つけるや否や
全く親とは真逆の行動に走ったり
もしくは自分自身の中の親の残骸を取り出したい、潰したい、などという衝動から
自傷行為と捉えかねない行動を取り始めるのです
何を隠そう
私も自分の中に『母親の残骸』を発見することがあるのです
私の中にある残骸は『おまえは汚らしい存在だ』といい
いつも『お前は汚い汚い汚い汚い』と連呼しています
汚いなら、それはそれで 掃除したりするからいいのだけれども
結構重篤だなあと思う残骸は
『他人に悪態をつくキャラクター』です
他人にダメ出ししたりする人格を
受け継ぐと、人の粗探ししかできなくなり
最後には周りに人がいなくなってしまうから
自分自身へもダメ出ししてくる・・みたいな人格
さて
この世界観の家族で育った子供は
どう回復していくかということなのだけれども
フランシス・ゴールトンは『教育の力は不可欠』だと言うのです
私はこの場合の教育とは
誰かに導いてもらうような師を探すということではないと思っています
どちらかというと
文学やら伝記の中に、『生き方のヒント』はたくさん散りばめられていて
そこから学んでいかれたらいいと思う
学びに疲れたらば
先人の創造した絵や音楽に癒されて
また、受け継がれてきたパーソナリティーとなんとか付き合っていくという生き方は
いいものではないかと思っています
ちなみにユングは
パーソナリティーは個々が獲得したものではなく
その群衆の無意識が表出して
誰かには、こう現れて
他の誰かには、ああ 現れて
と 潜在的無意識が関わっていると唱えたが
私もすごく賛同するところであります
人格者と言われるような素晴らしいパーソナリティーも
群衆の無意識が望んだから、現れたに過ぎないと見ています
だから、ぶっちゃけていってしまえば
『人格すら天からの授かりもの』で
その人格が矯正されたり改心したりする局面も
何かしらの人智を超えた力が動いていたりするものよなあと思っているのだけれども
そんなことをずっと人類は
誕生してから軌道修正しながら進めている気がします
独つの個人ではなく
一つの生命体としての営みみたいなものを感じる
呼吸みたいに
吐いては吸ってみたいに
破壊と再生をしながら
どこかに進んでいるような気がするのです
その先は神のみぞ知るってやつですね
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