いつまでも娘

母性という映画を先日にブログに書いて
そしてそれを観たよ〜というクライアント様たちからのレスポンスが多かった

 

『苦しかった』とみなさま仰る

どこの場面が苦しかったかというと
色々な場面を、それぞれに教えていただくのだけれども

 

・・・全然違うのね!

 

どの場面が苦しかったか
それぞれ人により全然違う

もちろん、私が苦しいなあと思った場面も全然違ったのだけれども

 

祖母
母親

の3世代のどの位置に自分の感情を移入するかという話としても
みんな違うのだろうと思う

 

で、私としては
祖母のもつ母性についての話なのだけれども

ーーーーーーーーーーーーーー(映画の話はここまでで)ーーーーーーーーー

祖父、祖母という位置づけが
自分の心(精神)にどのように影響を与えてくるかということは
案外見落としがちなのであります

 

今の時代は核家族(2世代)が多いと言われているけれども

私たちの小さな頃は
割と3世代の家が多くありました

自分(と兄弟)
父親 母親
祖母 祖父

これだけでも5人(プラス兄弟)のチーム構成になり
パワーバランスもかなり変化します

 

私が面白く感じることの一つとして
パワーバランスというものがあるのだけれども
1対1のパワーバランスというものに もう一つの1が加わると当然『総数は3』になる

この時のバランスというものは
1対1対1になるか
1対2になるか
2対1になるか
3対0になるか(この場合の0は仮想敵が作り出された状態)(居ない人の悪口で盛り上がるとか連帯感が生まれるとかはこれにあたる)

の4つのバージョンがありまして

家族構成を見る時に
この目の前のクライアントさまは
どのような状態にあるのかということを見ます

それはもう透けて見るかのように見ます

 

このパワーバランスというものって
残り香のようにその方に付いているのです

この残り香みたいなものは、その方の歴史の匂いも含んでいますから
血生臭いものとかもありますし
よく泣いてきた方はしょっぱいような匂いがします

 

その匂いを感じながら
そこから構築していく時に

親の感覚みたいなものも
その方のパワーバランスの一つとしてくっ付いているから
当然見えるのだけれども

・・例えばその目の前のクライアントさまの母親なのだけれども
小さな女の子みたいに見える時が往々にしてあります

え?🧐みたいになります

母親なのに目の前のクライアントさまの精神年齢より
はるかに幼いという母親が、娘(目の前のクライアントさま)にくっついていることがあるのです

で、クライアントさまにお尋ねしてみると
やはり祖父、祖母と一緒に住んでいたという

家族の中で『実権』を握っていたのは
祖父もしくは祖母であって

母親とか父親は逆らえない

だからパワーバランス的に
祖母の前で、母親は『娘』になってしまう

例え、子供を産んだとしても、娘は『母親』から離れず

『娘』のまま、子供を育てる

 

すると
子供は自分の母親が
どこか心許(こころもと)ないように感じられて、頼りない母親というものを感覚としてもつようになります

なので我儘を言ったり
甘えたりができなくて

我慢を自分自身に強いるようになり母親に気を遣うようになります

 

母親は、自分自身が『娘』のこころのままなのです

母親は『母親』になれておらず 『娘』のままで居続けようとします

だから『親としての決断』もしづらいし
いちいち祖母である『自分の親』の意向をお伺いして
生活を導いてもらわないと生きていけない

 

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『子離れ』と『親離れ』って
実は人生の中でかなり大事で、もっと注目されていいものだと思っています

私は自分が子供を産んだとき
なんとなく、小学校を卒業するときまでが私の母親としての役割なんだろうなあと思って育てていました

実際、中学に行くと
子供自身が『社会的』になってくるので
親として導いたりすることはなくなっていき

たま〜に帰ってくる安全基地として機能していればいいのだと
私は自分自身のことを認識しておりました

あとは、もう中学に行ったら『社会に揉まれるしかない』と思っていたので

大いに揉まれてこいや
と思っておりました

 

12歳から18歳までは、とにかく見守り

助けたくても
親の私に助けを求めるのではなく

友達に助けてと言えたりとか
バイト先の人に鍛えられたりとか

親ではない『場所』を見つけていくということをさせていました

泣いていたり
落ち込んでいたりする子供を見るのはしんどかったけれども

『親で解消させてはならない』と
中学校からは距離をとっていた気がします

 

たまに子供自身のこころの中みたいなものを見てみると

もう親である私たちには興味がない

そして『許可』も、とりに来ない

当たり前だけども
自分で決めて自分で行動するときに
『親の意向』とかを挟まない

『親』がどう思うかなんてことは、頭から無い

すごく単純でシンプルな大人になったような気がします

 

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けども私の母は、私に『いつまでも娘』を強要する人でした

母親にとっての私は
『いつでも自分を満足させるべき存在』であり
『崇めてくる存在』であり
『自分が創り出した』と思っている存在(☜これポイント、自分が生み出したと思っているから自分の好きにしていいと思っている)

だから『自分の意向』を反映した生き方をしてもらわないと・・と
私の母親は
私に対してこう思っていました

 

母親は自分の母親(祖母)のことをとても好きだったので

祖母がどうしたら自分に向いてくれるかということを
いつも考えている人だったので

『自分はこんなすごい子供がいるんだよ』

ということで親(祖母)の気を引こうとしている節がありました

 

・・・私の母親も『娘気分』が抜けなかったのかもしれません

 

実際、私の父親は
自分の妻のことを
『あの人は いつまでも少女っぽかったから』と言っていて

(うわ 気持ちわる)

と思ったことをよく覚えています

 

親離れって
自分の頭上から『親の意向』を消してしまうことなのかもしれません

儒教とかには反する考え方ですね

母性と儒教(家父長制とか目上を敬えとかですね)って相性が良くて
実はすごく近しい感覚を覚えたりします

   

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