畏 

『神は死んだ』とニーチェは言う

確かにそうかもしれないと思う私もいる

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けれども
私の中にはそれこそ『一神教の神』は元々居ないけれども

『八百万の神』を感じることはできる

八百万の神を感じることができるとは
すなわち信じていることになるのかもしれないけども

今回はそんな『神』に絡めたお話

 

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農作の時代だとか
そういう物質に重きを置いた時代は

物質をどれだけ得られるか・・と言うことで
一神教の神のご意向はとても重要でした

罰を与えられたり
祝福を与えられたりと

神のご意向というものは、神話にあるようにとても気忙しい

悋気(りんき)も強いし
独占欲もあるし
権威も見せたいし
快感も感じたい神々は

それはそれは
世界の至る所に、牛になったり うさぎになったり
乞食になったり(原文まま)して
その実態をあらわし

飴とむちを使い分けてきました

 

その『神』と共依存気味だったのは
もちろん人類なのだけれども

人類もやられっぱなしだった訳ではなく

自発的に『神を理解しようとし、超えようとし、そして神になろうとした歴史』をもつのだけれども

 

ニーチェはこう言ったのです

『神は死んだ』 と。

 

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そう言われた(神)が死んで、
久しく時間は流れて

人々は自分の頭上に『神』を抱かなくなりました

怖い存在がいなくなったし

もちろん文明の発達で
神の仕業をされていた天候も怖くなくなったし
荒れ狂う海も避けられるようになったので

畏怖という感覚を
周りの自然にさえに感じなくなってきました

自然、もしくは環境というものを
人間の支配下に置くこともできるようになって

あれほど怖かった暗闇も
電気が普及し
至る所は照らし尽くされて

恐怖を、そこに見出さなくなってきました

人間というものは
底知れぬ暗闇を見ることを

深淵を覗く

と表現し

そしてその深淵を見るものは
あちらからも覗かれているのだ

という

要は
自分の脳の中に太古の歴史として刻み込まれてきた
本能的な恐怖を感じる機会も失われつつあるのだけれども

あまりにも明るみに出てきた
AIの目覚ましい活躍の記事を目にするたびに

なんだか
もしかして人間というものは

もしかして
その深淵を覗くことをじつは欲しているのかも知れないなんという気になってくるのです

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AIがチャットgptなどで
1人の人間の回答より遥かに見識も見解にも明るい文章を作ったりして

人が一生のうちに操れる言語の遥か上をいくAIは
まるで

人間が『自分の限界』をAIに任せているようで

それは
いつか幼いころに怖くて見れなかった暗闇を
AIに任せたかのような

いや、もしくはAIの向かう行く末こそが深淵なのかも知れないです

AIが深淵を覗くとき
あちらから
何がこちらを見るのか

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神は死んだという時代から

しばらく神が消えて

そして今
新たに『神』を創り出して支配されに行っているような気持ちにもなるのが昨今のニュースです

誰かに支配されたがっているように見えるのは
私だけでしょうか

   

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