見てるもの

先日 一番太陽の光が短い日が巡ってくるのだという日だった

冬至

冬に至る

なんとなく冬至と言ったら『柚子湯』よね
とか思うが
今年は猫がおるので
柑橘系はいかんのだと思い出しました

 

猫がクンカクンカしながら
私の匂いを嗅いでいるのをみると
とてもくすぐったいような気持ちになります

私の匂いを嗅いでくれる存在がいるのだと
ありがたや という気持ちになります

 

いつからか
私は人の匂いを敬遠してきましたが

ここ最近のいくばくかの猫のお世話で

匂いって悪くないなと思うようになりました

昔は 匂いなんて消すものは特になくて
柔軟剤とかも使ってなかった頃

母親の乾いた皮膚の匂いはまだなんとなく覚えていて

どうにも近づけない匂いよな・・
と思ったことを思い出します

原家族の匂いが苦手で仕方なくて

結婚して早々と家を出て
やっと自分で創り上げていく家に感じた
幸福な匂いに息を吹き返したことも覚えています

これは私が発達障害で過敏な故なのかと思っていましたがどうなのでしょうね

感覚過敏がなかったら
私は原家族の匂いに違和感を感じずに生活できたのでしょうか

 

私の『自分を大切にするポイント』として『匂い』はとても大切です

作られた匂いではなくて
人が安心した時にだす『匂い』にとても敏感なのだと思っています

カウンセリングルームに初見で来られた方も
時間が経つにつれて
私と対面していても『緊張の匂い』がなくなっていくと
少し嬉しく思ったりします

 

そういえば猫は
親猫に自分だけ出し抜いて時別に可愛がって欲しい時
親猫に対して肛門から特別な匂いを発するのだそう

それがうちの猫たちもよくだすのですよ

多頭飼いだからでしょうか

人間だけではなく
他の生き物も『自分だけ目をかけてもらう』ことに
身体がそういうつくりになっていることを知ると

『自分だけを見てほしい』は
神の悪戯のなせるものなのかもしれません

 

 

話は変わりますが
私がクライアント様たちの内部を見るときに
見ているものが

介入中にクライアントさまご自身も
自覚されて目撃するということがよくあります

今日も
ある『記号』を使った介入中に
クライアントさまがそれを目撃されて

しかもそのエピソードなんかも
その、目撃された物に即したものだったりすると

私が普段見ているものって
なんなんだろうな と 自分でも不思議に思うことがあります

目、というか 眼球で認識しているもの以外に

やはり
私たちは『ある部分で』
『そのもの』の実態を把握しているのではと思わされます

それは『無意識下では嘘がつけない』といいますか

『本質』をみんな、それぞれ実は
認識しあっているのではと思うときがよくあるのです

私たちが見て、普段信じ込んでしまっているものは
実際は上澄み みたいなものなのかもしれません

 

さて
本日介入した方には『生理痛』をテーマにしたものを治癒したのですが

やはり私とクライアントさまとが
目撃したものは共通でした

性的な虐待

しかも壮大な歴史ある『性的な虐待』がテーマでした

私たちのなじみのある『神様』の存在にも関わっているもの

カウンセリングが面白くなってきました