睫毛にふれる星

依存性の人は 宗教的な課題を抱えている

と書いたのは 河合隼雄さんだったと思う

この言葉をきいたときに
大きな風呂に ザバーンと
浸かったような感覚になった

何故だか
…わかる…という気持ちと

わかってくれる人 いたんだなぁ という気持ち

私の依存性は
数えたらば キリがない

依存性 もしくは 中毒か

買い物依存もあったし
恋愛依存も
性依存もあった

煙草も 酒もやったし

依存の無鉄砲ぶりでは
坊ちゃんをも凌ぐであろう

依存性を 依存性でカバーして
中毒を 中毒で補う生活をして

自分で自分を欺いていたのに気付き

それにプラスして
蓋をしていた過去が 時間を問わず
出てきてしまい

今思えばフラッシュバックみたいなものだったのかも
しれないが

当時の自分は『だらしがない弱虫』としか自分を
認識していなくて

気付いたときは
『ああ、もう脳が壊れる』と聴こえ

泣きながら神社で 初の神頼みをしてから
人生が変わったが

中毒は、中毒のままで
依存性は依存性のままで

これを 抜くのに かなりの時間を費やしました

暴れ狂う自分の
『寂しさ』『淋しさ』と

トラウマとなった (大人達の『優生思想』)の空気を
幼少期に目の当たりにしすぎて

が、中毒の素でありましたが

今になれば この『寂しさ』『淋しさ』は
生まれつきなんじゃあないかとも思う

圧倒的に 詰まっている 外界は

隙間がなく

引っ切り無しに 色と音と 摩擦の洪水で

どこか
透明な 息の吸える場所を…と
求めて彷徨っても
どこにも無かったなぁ と 思いだす

母親の声も
父親の姿も

安全では無く

いつも ザラザラ ギャーギャー ワーワー
と 五感を刺激してくる世界では

なかなか 神経は休まらなかろうに

周りからの刺激が強すぎて
擦り切れたり
もしくは 堅くなってしまう方

これは もう 仕方がなくて

発達に鋭敏な感覚を持っている方々は
工夫して
『安全な場所』を作っていくしかない

『安全な場所』とは

『生まれつきもってきた感覚』につながることが
できる場所を作ることが
1番なんではないかと思います

要は
『自分の根源』に繋がること

瞑想などがお勧めではありますが

トラウマなどがある場合は
少し違う 瞑想への導入があります

『自分の根源』に繋がれば

『寂しさ』『淋しさ』が 何に対する感覚かが
わかります

私個人としては
『淋しさ』『寂しさ』は
『他人によって満たされるものではない』という
のが 答え

じゃあ どうしたら良いのかなぁって

『淋しいねぇ』
『寂しいねぇ』と
言い合える仲間がいるのが 1番かなと思っています

だから 先生達と話していると
私は(先生達の淋しさや孤独)に触れます

そこで 初めて
『淋しさ』や『孤独』が 星になる瞬間を
少し 見られたりもします

その淋しさを 感じるからこそ
私は 人に ある思いを抱えるのかもしれません

だから 刹那を愛おしく感じたりもして

また
そんな愛おしく感じる自分に気付いたときに

五感に感じていた あの感覚が
すこし 柔らかく
温もりを帯びたものに
変化するのを感じたりもします

 

 

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