実態をしる苦しみ

性的虐待って、一体なんなんだ!
と 思われる方も多いと思います

わかりやすく身体を侵害される行為をされた…
とかなら
『私は性的虐待の被害を受けた!』
と、自覚もされるでしょうが

実際は 明らかな身体接触の侵害行為は少なかったりもします

…けども
性的な精神の侵害行為は
結構たくさん 見受けられます

じわじわと
性的な搾取をされていくので
ご本人も それに慣れて麻痺していき

しかも それが
精神を本当に蝕んでいくのです

性的虐待のトラウマを治療していくなかで
大事なのは
『自覚』です

なんの自覚かと言いますと
『性的な搾取をされたという自覚』

しかし、これは
『相手が私に 性的な搾取をしたのだ』と
実感しなくてはならなくて

それは
『相手が 性的な快感を伴う感覚を
自分に対して行使してきた』
と 認めること

つまり 例に出すならば

父親が 自分を 性の対象としてみていた

…キッモ!!

という感覚をリアルに洞察していく必要が
あるのです

これが 本当にしんどい❗️

私の仕事のパートナーの高之瀬は男性ですが
聞くところ
幼少期、かなりの性的虐待を受けてきていました

男性からも
女性からも性的虐待をされていたし

言語化していくのに抵抗もあったりして
洞察は 本当に苦しそうでした

ご本人曰く
『身体重いし
何だかわからないけど
死にたい…って感覚が出てくる』

と言っておりました

不思議に性的虐待のトラウマって
根源的な『生きる』部分に関わっているのです

そんな、こんなの経過を見て
介入をして
トラウマを治癒していくと

ある一つの仮定が浮き上がってきます

それは
『本当に 人間同士は 相手の思考を
無意識下で受け取りあっているのではないか』

というもの

もう記憶にも無いし
健忘してるし
トラウマのヒントもわからないよ!
…という時でも

夢で ヒントが出てきたりして
介入のポイントがわかったり

無意識下では 嘘はつけないんだろうな
と思う

トラウマが解放されるときって
何故だか
相手の思考が
手にとるように分かってしまうという感覚があります

それが絶妙にしんどいのです

受け入れがたい相手の思考だからです

けども
そのトラウマを受けた個体の無意識が選択した道が
『トラウマを解放せよ』だったら

どんなに治療の道中がしんどくても
必ず治癒する方向に引っ張られます

ご本人が 『意識』では
『しんどいよー』と逃げても
治癒すべく それは
ひたむきに メッセージを 送ってきます

まるで 海の底から プカリと浮いてくる、あぶくのように

ふとした瞬間に
何かを見たりします

さて、私ですが
自分の性的虐待を治療してきましたが

以前は 父親ってのが
大きくて 黒い モヤがかかったようなイメージで

それが『自分の父親像』だと
長年思ってきましたが

ちゃんと治療すると

今は もはや
単なる 『色ボケ脳内お花畑』だった…
と 認識が変化してきました

記憶もちゃんと戻ってくるし

何より やはり健忘していたのよね

あの時の父親のあの『顔』の意味が
ふいに理解出来たりしてきて

何年も昔のことなのに
リアルな
なんとも言えない絶望感を味わったりします

人間って生きていく為には
架空でも 『支えてくれている存在』ってのを
創り上げるのね…と

母親が派手に 叩く方だったので
父親の存在は霞んでいたし

あの性的な触り方も
自分の都合良い形に解釈して

『娘として溺愛してもらったんだ』
と思って

自分は大切にされているんだ
…と 自己暗示をかけていたんだなぁとわかる

それだけ
大切にされたいという飢餓感は
小さい頃から自覚していたし

どっかで

『本当は大事にされていないよね』

とも理解していたのだけど

自分が惨めだとは認めたくなくて

過剰なスキンシップを 親の愛だと思い込み
それをベースに
思考を構築してきてしまったのだが

過剰なスキンシップは
父親のただの
『欲望の解放』だと腹の底から理解するのは
もの凄く時間が掛かりました

例え話として
パートナーが 娘に
『私の父親と同じ行為をしていたら』
と 仮定して考えてみたりして

パートナー、最悪だな…

となるって事は

やはり侵害行為なのよなぁ…と
理解が進みます