適切な絶望をする

自分に絶望する
と聞くと ギョッとされると思いますが

実は
『適切に自分にきちんと絶望する』
のは とても大切なプロセスです

私も いまだに やっとります

大好きです 笑

これ、一回 きちんと『絶望しきる』と
自分に対しての技術になります

どういう事かと言うと

大抵の苦しみは
『自分に絶望してない』から起きます

『自分だって〇〇があれば』とか

そんな妄想に逃げこむから
余計に苦しみが増し増し になっていきます

例えば
『なんで、私だけ こんな目に合わないと
ならないんだ』

っていう思考は

起きている『現実』と『自分』が
まだ接着していない状況です

けど、起きてるもんは 起きてる

状況は 確実に 現実として、存在してる

それが受け入れられない『心』が『障害』と
なります

だから まずは
『現実』を受け入れられるくらいに
体力と気力を養うことが ポイント

嫉妬も 現実が受け入れられないから
起こる感情です

自分にきちんと 絶望出来ないから
他人の幸せ に 怒り を向けているだけです

自分に絶望するって
本当に最初は 『うわ!キッツ!!』
という感覚です

のたうち回ります

が、それも 一過性です

どっかの大学が
『希望』という感情は『絶望』のあとに
やってくる感情だ

と 1か月前くらいに発表してましたが

同感!

絶望をきちんと感じたらば
ちゃんと 希望っていう光に触れる事が出来ます

その絶望を感じるプロセスは
冷や汗がでるような体験です

高之瀬すら 顔面蒼白になるくらいです

が、慣れると
案外 癖になるのですよ

体感が半端なく
例えるならば
ジェットコースターの 急に落ちる感覚や
冷たい水にいきなり落ちるような
感覚です

その体感を 人は怖がってるのかもなぁ
と 思うのです

大概の 執着は 『きちんと絶望すること』に
よって 消えてしまいます

逃げる人もいます
でも 別に悪いことではありません

準備が整ったら 然るべきときに
出来事が起きたりします

何回も、その出来事に似たケースが
目の前に起きる場合って

(この人の事が気になって仕方ない…とか
いつも 〇〇な人に 嫌な気分にさせられる)は

絶望しきってから 違う道に 進みなよ
そっちじゃないよ

っていう 無意味からの『ご案内』だと思うのです

まさに、恵みよね!と
私は 嬉しくなってしまうのです