ああ、そういえば と思う
私は声が低くなった
おそらくだが
去年あたりからとても低くなってきたのだ
今回は そんな『声』にまつわる話からのよもやま話
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昔の私は人前で喋ることがとても苦手でありました
声が上擦ってしまい
そのうちに首を絞められているかのような感覚になり
声が震えて出せなくなる
社会科の発表会
英語の朗読
もちろん人前での歌を歌うなんてことは出来ない
小学校というところは
何かと発表を人前でさせるところで
だから私はよくズル休みで切り抜けておりました
自意識過剰だと母親にはよく言われましたが
そうかあ
自分は自意識過剰なんだ〜と思ったところで
なんの対処法もなく
過ぎ去っていきました
他人が発表するということも、観ているのが苦手で
なんとなく不安な感覚になってしまい気が散ってならないのです
また子供が生まれてからも
よく『絵本読んで』とせがまれても
読んでいると酸欠になりクラクラと目眩と頭痛がしてくるので
本は一回につき三冊が限界でありました
とかく声を出すのが苦手なんだと自覚した私は、
その頃働いていた『発達障害児童をどう育てていくか』という
プログラム施設で
新しい手術と出会います
それは舌の付け根を三分の1程度、ばちんと切るという手術でした
舌は体内の筋肉の全てと繋がっているので
切ることにより余分な緊張を筋肉が保てなくなり
それにより
酸素が多く吸えるようになり
頭が冴えるから
子供たちもそれで、できなかったことができるようになった・・!という
報告を受けていたのです
半信半疑だったのにも関わらず
確か日本では、その一軒の医院でしかやっていなかった医院に予約をして
そして手術を受けたのです
まあ衝撃だったよね・・・!!
麻酔、ほとんど効いてなかったような気がするもの
切った途端に口の中に血が溢れて
ちょうど春先で花粉で鼻呼吸ができなかったから
危なかった 笑
そして思ったのは
『舌切り雀って、おばあさんにこんな感じで舌を切られたんだろうか・・』
などなど
一日2人しかその手術ができないとかだったのだが
もう1人、私の他に手術を受けた男性は
手術台を降りた後、あまりの衝撃だったのか
ぶっ倒れて運ばれて行ってしまったと看護師さんが教えてくれた
私はといえば、手術が終わった後
異常にお腹が空いて、舌が半分切れてるってのに
パスタを食べたのを覚えている
またもや『舌って切れてもご飯は食べれるのね・・』ということと
『パスタを食べるのはかなり舌に負担がかかるのなあ』
と考えながら食べた
切った後も癒着しないように
舌を押し上げるのだが、痛くって痛くって苦行だったが
さて、それで喉が詰まった感覚が減ったかというと
これが功を奏したのかは不明なのであります
そんなこんなしているうちに、夜の世界で働き始め
声を張らないといけなくなり
仕事となると振り切れたのか
声が少しずつ出せるようになってきたのだが
でも、まだ呼吸ができない感覚と喉が詰まる感覚はそのままありました
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昔は
よく『かわいい声』だと評されることもありました
しかし、それを言われると
どうしてか無性にイライラする自分もおりました
そして徹底的に自分を嫌になったのは
夜の仕事の時の接客の時の自分の声でした
甲高く甘ったるい声を出す自分
自分で自分が気持ち悪いと思った瞬間でありました
『なんで、こんな声出してんだろ』
考えてみると
声を幼いような甘ったるい声で出していると
攻撃をされにくいと学習してしまったということもありそうなのです
また、『甘えている』という表現は
相手の庇護欲を刺激するので、攻撃よりかはマシだと思っているようでした
『こちらは攻撃の意思(意志)はないですよ』というコミュニケーションを
声のトーンで表現しているのだとわかった時
なんだかとても疲労感が出てきたのを覚えています
攻撃もされないし
むしろ、それが男性相手だと
男性をもコントロールできる(悪いようにはされない)というメリットもあり
私の声はどんどん
自分とはかけ離れた媚びる声になってきたのでした
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それが、数年前あたりから
『媚びる』という戦術を人生で取る必要がなくなってきた私は
徐々に声が低くなってきておりました
等身大の自分というものが分かり始め
取り繕うことも
か弱く見せることもしなくなりました
それとともに
気づいたことですが
『目を大きく見開く』みたいなこともしなくなってきていた自分に気がつくのです
このことから分かるのは
相手に『可愛く見せる』ということを戦略的に取っていたのだということ
それが自然にやっていたならばまだしも
私はどうやら無理してやっていたようです
なので
取り繕うということをしなくなった私は
気がつくと
自然と声は低く、顔の緊張も消えておりました
取り繕ってた頃の私は
1人で生きていくことなんてできないと思っておりました
いつも周りの顔色を伺いびくびくしていた気がします
どうやら攻撃されるということを異常に怖がっていたようで
けれども攻撃をされても反撃できるということもわかりました
いつの間にか
私は低い声になったとともに
貫禄が出てきた と評されるようになってきました
冷徹だとか
クールだとか
怖いとかも言われるようになりましたが
意地悪をする訳ではないのです
どちらかというと、とっつきにくいように見えて来たようです
それでも
今では私は自分の低い声が大好きであります
誰かに好かれようとする自分のことより
自分では装わずに
楽であり自然体であることが
こんなに自分のことを好きになれるのだとは思っていませんでした
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そんなこんなを経て
最近、私の先生たちが
私の中のある『人格』の出現を楽しみにして待っててくれているのです
それは、繕わなくなってきてから姿を現すようになった人格であるようです
異常に頭の働く子供のようで
大人より弁が立つという
そして大いに発達障害らしいです 笑
先生たちによると
解離性同一性障害での自己から切り離された人格では
よく発達障害の人格というのがあるのだそう
(憑依ではないですよ)
先生たちが『今まで見てきた中でトップレベルのエネルギーの強さ』だと言ってくれる
人格が満を持して
姿を見せるのでは・・と先生たちは待っているのだそう
この人格は『誰かの顔色なんて伺いたくない』という人格らしく
それが出てきたら、周りは振り回されそうですが
それでも良いらしいです
この人格は、男の子でもあり女の子でもありのようで
何年か前に初めて見えた時は眼球のあたりは落窪んで
目が無かったのですが
目が戻って来たらしく
今ではチラとこちらを見て背を向けて座っているようです
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