『新しい私』とか『新しい自分』と出会うと言う体験を求めて
海外に行ったり旅に出かけたりするのは
理にかなっていると思う
今までとは異なる場所に行くと
『ルーティン』でこなしていたことが
出来なくなります
そうすると、
物事の選別を一つ一つ
吟味して選ぶようになるわけで
今まで惰性でこなしてきた衣食住が
やれ新しい場所だと
『正解』を自分で導き出さなくてはならないので
新鮮で
かつ
ピリリとした新鮮味を伴う刺激が生じてくるのです
ある精神科でのカウンセリングルームでは
三ヶ月に一度
部屋を入れ替えます
話すことや、感じることが
違う場所だと
また違って感じられてくるからだと言います
同じ場所だと
以前と同じような感情を想起させられてしまうからと言うこともあります
私が禅の先生に会い始めた頃
先生が徐に言った言葉があって、それは
『こういう場所だと、皆 人は自分の悩みや愚痴を話したがる。
ネガティブな感情を出そうとする』
と言っていて
確かになあ・・と思ったりもする
{こう言う『場所』では『こう、振る舞う』}と言うのは
私たちが自分で思うよりも強く
『思い込み』として入っていたりします
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私が自分の中で
はっきりとそれを自覚したのは
男性の前でした
私は、もうほとんど無意識下にそれを落とし込んで生活していたのだけれども
『男性の前では、男性を『機嫌よく』させるように
私は振る舞わなくてはならない』
という『刷り込み』がなされていて
なぜなんだろう・・と自分の人生の中で
その思い込みの起源を探してみたのだけれども
なんだかそれは薄ぼんやりとして、定かではないのです
しかし
なんとなく小学生の当時
女性の教諭が
男子児童に対する接し方と
女子児童に対する接し方が明らかに違っていて
それを見て
{大人の女性でさえ、異性にこうやって接するものなのだ}
と不思議に思ったことや
一族の集まりなんかだと
男性は座ったままで
女性は、くるくるくるくると
ひたすらの食事やら給仕やらで動き回り
それは、当時の小さな自分には
『働く人っていうのは優位に立っていいものなのだ』という
学習に繋がってしまい
そして当時のはやりの言葉でもあった
『二十四時間働けますか』とか
『働かざる者食うべからず』みたいな
『労働を為さない者は恩恵を享受するべからず』みたいな
手厳しい世界観を見せつけられたからなのかなと思ったりもします
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さて
私たちは小さな頃から『将来の夢』みたいなものをよく考えさせられ
語らせられ
約束させられ
目指せさせられてきました
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私の娘や息子の時代も卒業アルバムなんぞに
それを書かされるという儀式があったりして
それを見せてもらったのだけれども
将来の夢には種類が2種類かあって
『自分のための夢』と『他人のための夢』とで
しっかり別れておりました
自分がキラキラしたいがための夢と
他人を喜ばせたり助けたりするのを当然と思っていて
多少の自分の犠牲は、請け負えるという将来の夢とでは
全然、その夢のエネルギーが違っていて
面白く拝見していたのだけれども
大人になり
その『未来に賭けるエネルギー』のようなものが
複雑に搾取されたり
吸収されたりして
自分の夢が、誰かの夢に吸い取られていたりもするという現象が
リアルにあるというのが
大人の世界なのだなあと思った次第でもあります
、で
冒頭の
『異性をいつも気分よく過ごさせなくてはならない』
という強迫じみた思い込みは
エネルギー的に
どのあたりで潤滑油として
働いているのかなと思ったりもします
潤滑油というより
毒を含んだ甘い蜜なのかもしれませんが。
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