自分は美しいのか 

こんばんは

ユークリッド便りが更新されました

(ユークリッド便りは
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この度は『ボディイメージ』からの『ルッキズム』に対する感覚を探ってみるものです

『ルッキズム』とは

ルッキズム(英: lookism)とは、外見に基づく差別または偏見である。主に人間が、視覚により外見でその価値をつけることである。「look(外見、容姿)+ism(主義)」であり、外見至上主義美貌差別、外見差別、外見を重視する価値観などとも呼ばれる。「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある
外見至上主義者をルッキスト(lookist)と呼ぶ。

外見や見た目の良し悪しといった視覚的情報によってその対象(自分自身を含む)を価値づける行為は、人類の「美」や「道徳」に対する価値観に迫るものであり、これまで数々の議論がなされ、否定あるいは容認されてきた。また外見的魅力の高低が評価や社会的行動にさまざまな影響を及ぼすことは、これまで様々な研究により指摘されてきた。

(wikiより引用)

つまり
外見、見た目が全ての判断基準のもととなってしまうという概念であります

昔『人は見た目は9割』という本が流行ったりもしたし
『見た目』が判断基準のもとになってしまうということは世間的に享受されるのかもしれません

赤ちゃんでさえ
見た目がいいものや美しく調和が取れたものを好んで
目で追っかけると言うデータもあります 

けどもそれは目で感じる『快感』であり

視覚はもはや現代人にとっては情報の80%の割合を占めるようにまで
発達してきたので

体の情報の8割を占めるところに生じる『快感』は自分でも抗うのが難しいのかもしれませんね 

 

私の経験としては

他人が
『見た目がいい人が好き』
といっているのに対して

『いやいや、中身が大事よ』といっても
それはもう本当に水掛論というか、不毛な話になるから放っておく

どの概念をとり入れて一生を過ごしていくかというは
その人の自由なので
私としては『ふーんそうなのね』で終わる 

けど結局

『顔』というただ恵まれていた『自分の努力以外のもの』で富や名声や力を得た場合

年々、その『力』は衰えてくるので
自分の顔を見るたびに
追い立てられる感覚になるといいます

自分の『老い』と付き合えると言うより

『老いてくる自分』と戦わざるを得なくなってしまうので苦しいかとお察しします

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ユークリッド便りの内容から少し離れてしまいましたが

今回の『自分自身へのルッキズム考察』は
自分がどんな概念を取り入れているかを知るいいきっかけになるかもしれません

私はいわゆる『顔の造り』が整っている人にはあまり魅力を感じません

クライアント様によく申し上げるのは

私が美しいなと思ってよく思い出すのは、師匠のすり減った靴底です

 

精神科医でもあり大学教授でもあった先生は
たくさんお金もあったはずなのに、毎日同じ靴を履いていました

それは随分とくたびれて、へにゃりとして
その人の歩き方が靴に表れてしまっていて

その靴底は外側がすり減っていました

それを暑い日も寒い日も履き続けていて
自分に無頓着だけれども
腕は一流の先生の靴底は、本当に美しいと思っていました

生き様が美しいのがいいな、と言うのが私の概念であります

 

けども顔って不思議な引力を持つ部分ではありますよね・・・

体の中でも
ものすごく情報を持つ部位だなと思います

ぜひユークリッド便りをお読みになって
ご自身への体や顔への『感覚』を教えてくださいませ

カウンセリングでも結構大事な関門でありますので。

   

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