葛藤って 手摺りみたいなもんかなと思うのだ
手摺り(てすり)
…落ちないように 壁面などに取り付けてあるもの
何に落ちていかないか、というと
餓鬼界や 地獄界 とでもいいましょうか
例えば
葛藤って 人の心のなかに
相反する二つ が 見受けられると思うのだが
大抵は (天使)と(悪魔)の言い分が
どっちも引かずに
五分五分で居座っていて
体調や気分により
天使と悪魔、どちらかが優先になったり劣勢に
なったりもするが
どちらかが消滅することは無い
…みたいな状況が 葛藤だったりもする
大抵人間は
天使の自分をイメージ、妄想するから
悪魔の自分なんて 到底受け入れられず
悪魔を追い払いに掛かるが
どうやったって 何故か 悪魔が戻ってきてしまう
…みたいな状況に
苦しみ、逃げて逃げてを することが
殆どでありますが
そこで 『私、天使だから!』と
自分を天使ちゃんオンリーに 無理矢理しちゃうと
実はそれはそれで
また、違う課題のステージに行くことになりますが
話をもどして
天使と悪魔
そこの 戦い に とらわれていると
それは まじで 『沼地』であり
足をとられて 動けなくなります
天使と悪魔がいることは
どちらが 善か悪かを 白黒つけたがる決戦が
自分の中に 在るともいう
ちなみに 映画でも『沼地』って
メタファーによく使われていて
沼地で 追いかけてくるものって
『未知で末恐ろしいもの』がほとんど。
『ゲド戦記』でも 沼地で追いかけてくるのは
影の人格の、自分だったし
『ロードオブザ・リング』でも
沼地で追いかけてくるのは 敵、と 自分の意志の弱さが
足を引っ張り続けていた
そんな『沼地』に
以前、いや 今もかもしれませんが
私も居りました
追われる方、追う方、どちらにも
そこで 何回も役割を変えながら
いつか どっちかが倒れるんじゃあないか
諦めるんじゃあないか
永遠に死ぬまで続く 持久戦になるんじゃあないか
いや 沼地自体に 『神』が降臨して
裁いてくれないか
とすら 思っていたときがありました
暗くて 思うように足は動かなくて
泥の中に 嵌まりながら
私は ついに 倒れたのです
どちらの私が倒れたかは わかりません
ただ 本当に苦しかった
血を吐くくらい 毎日 吐いて
これ以上は もう無理だと
倒れたときに
ある チカラ が
私から出たのか
私に 来たのか わかりませんが
幽体離脱みたいな感覚でしょうか
悪魔と天使
二つの自分から 何かが出てきて合わさったのか
その 悪魔と天使を
見下ろしている自分がいると 私は気がついたのです
嗚呼
本当に苦しかったなぁと
まだ そこで 闘いを続けている2人を見ながら
ふと 思ったのは
『すんごいエネルギーだなぁ』
…こんなに熾烈な闘いは
まるで S極とN極をくっつけるようなもんだ
絶対くっつかないが
ただ チカラは そこに相反する二つが
ある故に 反発しあって 生まれている
生まれたてのエネルギー が そこにあった
宇宙で 私にだけしか 生じさせられないエネルギー
なんだか
その 力自体を フラフラしながら 眺めていたら
諦めの感覚に近い感覚になってきたのだ
そうだ
これが 私なんだ と。
そうしたらば その エネルギー自体が私で
私が エネルギーなのか
エネルギーが私になったのか
私か、エネルギーか の境目も
あやふやになったときに
ある 感覚を 感じたのです
登り始めている、私の 腕を。
いつの間にか 走りつづけている この足を。
沼地から 徐々に
そこは 乾いた土地になり
ザラザラした土は やがて サラサラとした砂になり
私はその足の感触を感じながら
たまに
息切れもするけれど
そう、私には 生まれたての エネルギーが在る
と
そのエネルギーが 私を引っ張っていくときに
私の前に
まるで 火の鳥のような ものが導いてるような
そんな風景が見えたような 気がしたのです
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