正直にスキャンされる

想像することがある

もし、私がこの時代の、この場所に、もし産まれていなかったら

違う場所の
違う時代の
違う人種に生まれていたならば

その時
私は『わたし』をどう捉えていたのだろうか

 

 

青森県立美術館に行ったのは
今から10年ほど前になりましょうか

わたしは遠い北の国にある、日本一大きなシャガールの(舞台絵というのか?)幕絵を1人で観に行っておりました

青森県立美術館は
それはそれは素晴らしくて
何より当時の展示がアバンギャルドで
寺山修司とか、奈良美智とか

正統派な美術館ではない、独特の雰囲気に呑まれてしまい

一日中ベンチに何時間も座ってシャガールを見たりもしたのだけれども

その青森県立美術館の隣には『遺跡』があります

社会科の教科書にも載っている有名な遺跡『三内丸山遺跡』です

その遺跡からの出土品に目を奪われてしまって
今もたまに思い出します

縄文時代は1万5000年前から2400年前まで1万年続いた時代です

キリストが生まれるよ〜〜という時代よりも前の1万年前から発生した時代です

我々の今の時代は
キリストが生まれた時代からまだ2000年。

縄文時代はそれより長い1万年も存続していたのです

これってすごいことだと思いませんか

わたしたちは、エネルギー革命から
数100年しか経たないうちに
もう地球の資源を使い果たし
ゴミを増やし
地球に還らないもの『リサイクルできないもの』をこの短期間に莫大に増やしてるけれども

縄文時代は
自然と共生して、地球からいただいたものは地球におかえしするようにして
循環して生きてきて1万年続く

この差は一体なんなんろうなあと考えるのです

カウンセリングでも
クライアントさんがお見えになった時に
やはり一番に考えるのは
『世界と共に循環できる身体に戻れるか』ということをよく見ています

色々なところで色々なセラピーを見てきたけれど

『引き寄せ』とか『願ったことが叶う』とかは
あとで皺寄せがきます

シーツを自分の方に無理して強く引っ張った分皺寄せがきます

皺寄せが後ほどくるのは何かの罰とかではなく

物理法則として
そうなっているのではと感じます

この世界の物理法則なんだと思うのです

あっちを押せば、こっち引っ込む
みたいなシンプルな構図の世界に我々は自己を感じるのだと思います

皺寄せが生じる世界が
我々が感じている三次元の世界でしかない

というところで
人は色々な解釈をつけて生きているのだと思うのです

それを色々な宗教は『罰』だとかいうけれども
そんな罰を与える存在はいないなあと思います

神には人格は存在しないのではと思うのです

存在するとするならば
『多面体』もしくは『多次元』の神です

わたしが見ている『世界』
あなたが見ている『世界』
あの人が見ている『世界』
この人が見ている『世界』

その全ての人が『見ている世界の全て』を総称してるのかもなあと思います

だから
あなたの中で『好きな神』がいたら
神はその一面もあると思うし

こっちの人で『信じる神』があれば
神はその一面もあると思うし

神は『多くの我々の目』を通じて『神』と為しているのかもしれません

 

最近の我々の『神』の流行りは
『怒りと罰の神』かもしれませんね

色々な人が世界のことを『罪と罰』の世界観で見ているから
神もそれに付随して
その『罪と罰』の雰囲気を濃く持ち合わせているのかなと思います

けどそれも『流行り』のようなもので

もうそろそろしたら
『罪と罰』の気配が消えるのかもしれません

わたしたちの概念が変われば神の『あらわれ』も変化します

見るものにより神は変化します

さて
そんな流動的で
つかみどころもなく
形もないものだと
わたしは捉えているのですが

先の時代、縄文時代の
『神』の捉え方に非常に親しみと憧れと力強さを感じたりします

どんな悲しみも
どんな生きづらさも全て『恩恵』と捉える

その足跡は
『女性への接し方』に見て取れます

縄文時代、女性はとても大切にされてきました
子供を為すため、コミュニテティでは
『みんなの女性』として扱われて

(女性を)性処理の道具に、なんて男性はいなかったらしいです

出産で命を落とす女性も多かったため
とくに女性が子供を産むということに村全体が関わって支援していたあとがあるらしいです

いつの時代から
女性が『性処理』と『子供を産む人』という扱いになってしまったのかな・・と
歴史の教科書を見て考えてしまいます

女性の『神秘性』みたいなところを
もっと知ったらいいと思うのになあと思うのです

お月様と連動して月経があるなんて、わたし、今でもびっくりします

教えてないし
コントロールしてないのに
なんで連動してるんだろうと

自分の身体に星の循環を感じたりするのだけれども
みんな、それ感じないのかな

男性の方々
不思議に思わないのかな

俺は野球選手になって
スーパーヒーローになって夢を希望を与えたいとかだけ考えて生きてるわけではないよね・・

正直、
身体も精神もタフな、要は生まれ持った幸運に見舞われているスーパーヒーローたる他人から
夢と希望を与えてもらうほど 私は枯渇してないし貧相でもない

わたしはひねくれているのだろうか

健全な人から
『夢と希望を与えられるようなプレーをしたい』とか言われると苛立ちます

健全な人に
キャアキャア言えるのは健全な人かもしれないけれども

そうではない人、いますよね

虐待されたり殴られて育った人に対して
晴れ晴れした顔で
『夢と希望を与えたい』とか言えちゃう言葉が
どんなに残酷な要素を秘めているかを知らしめてやりたいと思うのです、正直。

『よかったね、いい親に恵まれて習い事させてもらって』
とひねくれます

どうやらわたしの神は
ひねくれの神のようですよ

けれども 一つ言えるのは
ひねくれの神は
『反骨精神の神』でもあります

『なにくそ』といつも思っています

この世界の矛盾にいつも怒っています

誰かが蔑ろにされて搾取されてるのとかを見るとメラメラします

いつも川崎大師に行くと
この『反骨精神』をお不動様にめっちゃ真正直にお見せします
怒りもスキャンされてる感覚になります

そうすると
なぜかクライアント様たちがピンチから救われたり
ラッキーが訪れて助けられたりしているから
もはやよくわかりません

懐が深すぎる

なので
この反骨精神が『トラウマ治癒』とか『解離』の治癒の役立っていることは確かです

   

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