薬湯

私は敢えて時事問題とか
今起きていることに触れないようなブログを書いてきたのだけれども

カウンセリングという仕事をして
いかに『自分』というものが外部からの刺激や
人との関わりで変化していく存在なのだと思い知ったところがあり

それは、1人では為し得ない境地なので

少しずつ慣れないことだけれども

『今、起きていること』も含めつつ
ブログで何かヒントになるようなことを書いていけたらと思っています

 

年明けに、私の心を動かしたこととして

ある影響力のある方が
SNSで『自分の考えを述べたこと』から
それを読んだ人々の心の動きというものが
非常に
なんというか
興味があったので

今日は、そのお話

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ことの発端は、件の飛行機事故の際の『動物』をどう扱うか
についてでありますが

『自分の考えと違う考え』に出くわした時の
人の心の動きというのが
コメント欄には溢れて

今現在で3000件にもあろうかという勢いでしたが
恐ろしく感じてしまった

そのコメント欄の主の方も
こんなに炎上するとは思わなかったのでありましょうが

飛行機という密室での『優先順位』に関わる考えで

それにより
『自分の安全が損なわれるかもしれない』という恐怖心を根底に持たれたのか
コメント欄のコメントは
人格否定の様相を呈していて

むむむ・・となってしまった

 

『話し合いで
何かを決める』

ということは古代のギリシャローマの哲学者なども
とても大事なことなのだと言っていて

それは、1人の人間の独創では暴走しかねないから

『議論を深めていきましょう』

ということなのだけれども

この『議論を深める』ということが
私たちは難しいのではないか・・
もしくは『やり方を知らないのではないか(自分を含め)』とよく思うのです

 

それは、パートナー間でも然り。

パートナーとは『1 対1』で2人しかいないのに

この2人の関係性でさえ『議論を深める』ということが難しいというのは
よくカウンセリングの現場で見受けられます

 

それでは『議論を深める』ということをどうやってすれば良いのか

ということを考えていきたのだけれども

それは
『カウンセリングの仕方』にも通じるところがあって

 

第一は『相手が何を恐怖しているのか』ということを聞き取る
もしくは質問していく

という方法になります

 

人が感情的になるのは
『自分でも気づいてない恐怖感』というものがせり上がってくる時に
怒ったり
イライラしたりします

『感情的になる』という状態は
なんとかして『場を自分のペースにしたい』というコントロール欲求からなりますが

このコントロール欲求も、そんな穏やかなものではなく

『なんとかして
自分の意見を通さないと自分は恐怖を感じ続けなくてはならなくなる
・・・それは自分にとって脅威となる』

という危険性が
自分の脳内でアラームを鳴り響かせるから

強引に自分の考えを押し通そうとするのです

 

この状態の2人が議論を深める
ということはとても難しい

 

一番やってはいけない禁じ手の『言論封じ』は
『相手の人格自体を否定する』ということです

やってる本人も『これは相手がダメージをくらうであろう』と想像できるからこそ
それを多発して攻撃する

そうするとお互いに傷を負いますから

話し合い自体がなんとか収まっても

どこかしら『疑心暗鬼』として心の中に鬼が棲まうようになります

 

ではどう話しあいをするか、議論を進めて深めていくかということになるのですが

最初は面倒に感じられますが
これはもう基本として体得されたらいいと思います

社会に出てもめちゃくちゃ役立つスキルであります

それは

『恐怖を言語化していく』という作業であります

 

これが何故面倒に感じるかというと

慣れればどうってことがないのですが

この『恐怖を言語化する』という提案を最初に持ちかける一方は
とても『悔しい感覚』になるからなのです

『自分だって、恐怖を感じているのに
なんで相手の恐怖を聞き取る、もしくは受け入れなければならないのだ・・』

という怒りが新たに湧いてきますが

これこそ
私の師が『耳タコ』なくらい言っていた『負けるが勝ち』なのですよ

グッと胆力と使って
『先に聞き取る』

 

相手が何をそんなに怖がっているのが

何を脅威に感じているのか

質問して 質問して

それを感じ取る
聞きとる
聴きとる

 

その訓練こそが
小学校時代によくさせられた『ディベート(議論)』の訓練としては大事だったのだろうと思うのです

今の教育だと、そう言った『議論』は最終的にどう決着をつけるかというと
数の多さに頼る、『多数決』に帰依するところがあり

それは民主主義と言われるが違う

多数決はただの『時代の流れ』であり
それは誰かにより操作され支配されることもあるから
それこそ危険なのであると思うのだけれども

その時、自分が『多数派』だったら安全を感じられて安堵するかもしれないが

自分が少数派の時もあり
そういう時は、心もとない感覚にもなり
鬱屈した怒りを感じ続け

それは徐々にフラストレーションという存在になり

何かの折りに
思いもよらぬ形で噴出することになる

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『多数派』により
色々な物事が決められて進まされてきた世の中ですから

だから議論をするときに

『こんなの普通だよ』とかいうコメントが乱立します

パートナー間でもそうで
『普通はこうだよ』などという言葉をどなたも一度は使われたことがあるのではないでしょうか

多数派も体験したこともあり
少数派も体験したことのある存在は『数の力』というものを強く感じてしまうのです

私ももちろん言ったことがある

 

むしろ
『普通はこうだという考えがこういう状態を引き起こしてるんだから

普通の考えだったら
反対の考えをするでしょ!』

みたいなパラドックス的な言い負かしの言葉を言ったりしたよ、私・・。

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『カウンセリングに来る』という状態は
『自分の内部の何かに困っている、でもそれを言語化できない』ということが多く見られます

カウンセリングで
『自分の内部の恐怖』を吐露できるようになると

どの方ももれなく、心が解けて自由を感じられるようであります

私のカウンセリングには
うつや不安障害などの精神疾患の方もいらっしゃいますが
どの方も『心の中に、自分でもどうしようもない何か』がいらして困っていらっしゃいます

むしろ
それにより『困った症状が出てしまう』という方が多いです

その『心の中に押し込められて、どうしようもない存在』というのは
少数派だった自分、すなわち『自分だけの感覚』になります

自分の感覚に味方できるのは『自分』なはずなのに
親や環境という多数派に塗り固められてしまう

それをまた『普通はこうあるべき』などという数から導き出された『一般論』で
押し込めるのは酷だと思っております

 

 

さて
師たちから、『恐怖の見分け方』を教わり続けて修行して

そうしたらば
その方の背後から異形のものが話しかけてくるようになりました

それは、神様的なものもいらしたり
妖怪的だったり
魔物だったりと
それはそれはバラエティ豊かな世界で美しい

まるで神話を眺めているような感覚になります

この間、ジブリの『千と千尋の神隠し』がテレビで放映されていましたが
まさにこんな世界観が
おひとり、おひとりのそれぞれの背後に広がっていらっしゃいます

あの、千に泥団子をくれた凄い神様がいらしたでしょ?

お湯屋にきた時は泥々の汚い様子だった存在が
刺さった棘みたいなものを抜くと

凄い神様だった!みたいなエピソード

これと同じこと、カウンセリングではよくあります

私がやってること
棘抜きみたいな、栓抜きみたいなことです

この『棘抜き』の仕方が
『相手の恐怖の棘を抜く』ということ

それをゆくゆくは
何世代か後でも

日常茶飯事に
お互いがお互いの大事な人とできたら どんなにいいかと思うのです

それが『議論を深める』ということの『真の効能』なのではと思ったりしております

 

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