罰のそれぞれ

カウンセリングで
毎日沢山のクライエント様あっている中で

気になっていて
未だに、ずっと気になっていることの中の一つなのですが

それは『罰』の存在についてです

 

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宗教トラウマのクライエント様も沢山いらっしゃるのですが

私も、宗教トラウマを持つ1人です

・・と言っても
トラウマまでの影響があるかどうかは分かりませんが

しかし母親はガッチリ、新興宗教に入っています

私が幼少期の頃に
その宗教に入ったことは知っています

また入信するきっかけとなった事柄も知っています

 

しかし
どうしても、小さい頃の私は
その宗教観が好みではなくて、かなり歯向かっていました

すると言われるのです

 

『バチが当たるよ』

 

鳥居を潜ったらバチがあたるとか
お守りを持ってはいけないとか

色々と制限は多かった宗教でした

鳥居なんぞは、どこにもあるものだし

一緒の登校班の子は、ランドセルにお守りをつけいていも
無事に生きているじゃんか・・

私はいつも不思議でなりませんでした

 

どうして宗教に入ると『バチが当たる』と言われ制限が発生するのか

そして
周りの子達は、誰もバチが当たっている様子ではないし

むしろ自分よりも穏やかな生活をしている様子もあったりして

そう考えると
『バチが当たる』という考えを持っている自分たちの方が
既にバチが当たっているような感覚になってくるのです

 

大真面目に尋ねたこともありました

『どんなバチが当たるのか』

しかしどの人も明確に答えてくれるわけではなく

ただ『悪いことが起きるんだよ』と言い

『それを防いでくれるのが神様を信じることなんだ』というのです

ううむ
なんか複雑

 

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罰を与えられない為に行動を制限するということを
心理学用語で『弱化』と言います

『自発的な行動が発生する』ということを弱めるという意味合いで使われ

『オペラント条件付け』とも言われます

オペラント条件づけ(Operant conditioning)とは、報酬や罰に適応して自発的に目的の行動を増やしたり減らしたりする学習のことです

「Operant」は「自発的な」という意味をもつ英単語です

一番よく知られている実験は
パブロフの犬の実験で
『鐘が鳴ると餌が出てくる』ということを学習させた犬が
鐘が鳴ると、それだけで涎を垂らすというものですが

これは生理的な条件付けとしての実験です

犬はあくまで『餌をもらう』という受け身であるので
受動的でいる場合の条件付けとしての実験でした

オペラント条件付けは
そのパブロフの犬の実験から少し進んだ

能動的である状態での実験でした

 

人の自発的な行動原則に対して『罰と報酬』がある場合に
人はどのような行動をし始めるのか・・という実験だったのです

赤ちゃんの頃は
人間は受動的であるのですが

しかし一方で赤ちゃんも能動的な行動をします

それは『泣く』という行動です

『泣く』という行動表現で
周囲にお世話をしてもらうように要求するのが人間の面白いところです

他の動物では
こうも泣きません

泣いたら外敵に攻撃されてしまうので
動物の赤ちゃんは、泣くどころか
すぐに立ち上がったり
逃げたり、母親にしがみついてじっとしたりします

ここまで無防備に泣ける赤ちゃんは、
誰からも教えられたわけでもないのに

生まれてすぐに『泣く』という行動を発生させるのはすごいことです

 

赤ちゃんは次第に成長して
自発的な行動を次々と発生させていきます

口にモノを入れてみる
なんでも舐めて確認してみる
身体を使って、行動範囲を広げようとする

どれもこれも
生きていくために必要な行動が発生し始めるのです

生まれて数年は、ほとんどの子供は
同じような成長をたどります

言葉を話す
コップで水が飲める
など

身体を使いこなしていく発達も似たり寄ったりで
飛び抜けているわけではありません

 

しかし3歳をすぎたあたりから『自我』が目覚めてきます

『魔の3歳児』とも言いますが

何をしてもイヤ
あれもイヤ これもイヤ という時期があります

その時期の親は大変ですが
ここで、家庭による『差異』が生まれてきます

『躾(しつけ)』と言われるものを
子供は養育者から与えられるわけなのですが

その『躾』が、ほぼほぼ『罰』となっている家もあります

またきちんとした『躾』をされている家もあります

子供のイヤに対して寛容な家(罰を与えない家)もあれば

子供のイヤに対して
厳格な家(体罰を与える家)もあります

 

子供の自発的な行動として発生した『イヤイヤ期』は

家によっては寛容に受け止められることもあったり
家によっては罰を与えられることもあるという違いが

後々にどう影響が出てくるのかという点で違いが生じることがあるのです

後者の『罰を与えられた方』は
自分から発生した行動で
どのような際どい対応をされるかを徐々に学習していきます

海外を見ても
子供の躾には、バラエティがあるものですが

どれも共通しているのは『おそれ』を利用するものです

 

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トラウマを負ってしまった人を見ていると
『おそれ』が非常に強いことがわかります

多く見られるのは『見捨てられる恐れ』です

『そんなこと、したら 面倒みないよ』
という恐れを用いて
子供の行動を制限する躾です

しかし、子供の方でも気が強い子供は
『面倒なんてみてもらわなくていいよー』とばかりの態度だったりすると

躾が、『脅し』では通用しないことを知った養育者は
身体で学習させようと

わざと身を隠したりして
孤独を感じさせるようにして『恐れ』を掻き立てて
子供のコントロールをしようとするのです

 

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しかしここで、養育者の『躾』が行き過ぎだった・・とか
『躾』と『罰』の違いを書くつもりはありません

今回ブログに書きたかったのは

大人になって
自分が采配をふるうようになった時に

相手への心理的なコントロールの際に
実は
『罰』という感覚を持って接している人が多いというお話です

相手が、自分の言うことをきかない・・となった場合
人は誰しも多少のストレスを感じます

自分の言っていることを
考えてもらえない場合に

相手に対して何かしらの意思表示を示すときに
無意識に『罰』の概念を用いていることがあるのです

例えば
・恫喝系ーーーーーーー怒鳴ったりなど身体的、心理的圧迫を感じさせることが相手に有効だと学習してしまったので
何か気に入らないことがありストレスを感じた時に
恫喝することによって
相手を自分の意のままにしようとする

・取り上げる系ーーーーー相手の権利を侵害するような言動、奪う行為でもって
相手に対して自分の意思を通そうとする

・無視系ーーーーーーー受動攻撃型とも言いますが、相手の存在を無視して
疎外感や無力感を味合わせることによって
自分の意思を通そうとする

・演技系ーーーーーーーー罰とは言えないかもしれないが
相手の罪悪感を刺激して、『こんなに困っている私をも捨てるあなたは
ひどい』という意思を相手に持たせることでコントロールする

相手に『良心』がある場合や、『優しい人』に対してだけ有効でもある

境界線がある人には通用しづらい

また相手の『性』を利用して
『性の相手になるから』とモーションをかけるのだが
ゆくゆくは『見捨てる系』になることで
相手をいいようにコントロールする布石としても使われる

・見捨てる系ーーーーーー誰からも相手にしてもらえないよ
という『無視系』と近しいが
見捨てる系は実際に見捨ててコントロールするやり方と
脅しの段階でコントロールする系があります

・罪悪感系ーーーーーーー演技系とも似ているが、
『その行為は非人道的よ』というメッセージを持って
相手をコントロールすることにより自分の思うがままにする

多いのは性的に成長してきた子供に対して、親からよくされる『罰』

また親から子供に対して
『老いた自分を見捨てるなんて』という罪悪感を抱かせるケースもあります

自分を見捨てたら、非人道的よ・・ということは
罰が当たるという概念を持っているからこそ生じる考え方です

正常な境界線を引きたい人と
境界線を設けたくない人(依存したい人)との攻防の際によくみられます

・脅し系ーーーーーーーーーやたら怖いことで脅して行動を制限する系
『✖️✖️したら〇〇になるよ』などと言って
相手の行動を制限したりコントロールする系

・見せしめ系ーーーーーーーー他者が罰を受けているところを見せつけることで
『明日は我が身』と思わせて
行動を制限したりコントロールする系

・自分が落ちる系ーーーーーー演技系、罪悪感系の亜種
自分自身が落ちる(体調が悪化する 不幸になる)ことで
相手の行動や気持ちをコントロールする系

 

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『罰』という概念は興味深いものです

境界線を引いて、
『自分は自分、あなたはあなた』という意思表示ではなく

『相手の行動を、自分の思う通りにしたい』という際に
通行手形のように見せつける代物であります

雲を掴むような存在でもあり

しかし、そこはかとなく
ずっしりと漂っている存在でもあります

罰は、意思表示ではなく

相手の背後にある『恐怖感』を持って
相手をコントロールするやり方です

相手の恐怖感を刺激する世界ってのは
なかなか、しんどいものよなあと思うのです

 

ちなみにカウンセリングでは

『罰を与えてきた人』の顔がしっかりと見えてしまうことがあります

その顔は
相手をコントロール出来てるぜい・・といった優位な顔ではなく

歪んで、非常に苦しそうな顔であります

   

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