心の変わり目や成長の時に風邪をひく
ということに注目し始めたのは
カウンセリングを生業としてからです
インフルエンザに罹ったあとに
急に子供が賢くなった・・という話は
私も子育て時代に聞いてはいたけれども
母親としての対応は
『インフルエンザは予防するべき』というものが一般的だったので
それはオフレコと言いますか
なんとなく都市伝説的な
母親たちの『なんだか、わからないけど そういう現象が見受けられるよね』
と言った風合いのものでした
では、うちの子供達はインフルエンザに罹ったら
その後賢くなったか?というと
そんなことは無く
変わらなかった
子育て時代は、たくさんの子供を見る機会だったのもあり
(幼稚園が親参加型だった)
子供の特徴というものを
とても豊かに眺められた時期だったのだけれども
ひとつ、不思議に思ったのは
アレルギーがある子供は
おしなべて知的な成長が早いというか
ませているなあ
という印象を持っておりました
アレルギーのある子供達は
どことなく神経質そうであり
そしてよく、他人を観察しているような子供ばかりで
知的成長が早いのか
親や先生たちの矛盾をすぐさまに見抜いてしまうようなところがあったような
気がします
子供の時代は
それこそ未成熟であり成長段階でもあるのですが
子供によっては
早くから『意志』や『意思』を持っている子供もいて
その子供時代なりの『純真さ』が
大人になるにつれて
清濁合わせ飲むようになるのですが
その『純真さ』が
矛盾と出会った時に
それをどう飲み込むかで、なんだか身体症状となってしまった
ということがあるような気がしてなりませんでした
それは
なんとなく周囲の母親たちも同じ印象を受けるらしく
『大人っぽい』だとか
『達観してる感じがするよね』
と見ているようでした
母親たちの勘というものは侮れないものだなと思うのです
子供を観察をしているのと同時に
普段と違うところはないか
健康か
困っているところはないか
など気を配る
それは自分の子供だけではなく
周囲の子供達にも同じような眼差しをむけていて
私が子育てした環境は、それが特に顕著でもあり
恵まれた場所だったのだと感じるのです(今思えば特殊な場所でした それはまた書きたいと思います
さて
そうはいえども
母親たちの子育て方針は大きく分ければ二分されるのですが
それは『管理型』と『放任型』の2種類です
どちらが悪いとか良いとかではなく
これは中庸(どちらもかね備えている)状態が一番バランスが良いのかな
と感じるのですが
私が親しくしていた母親たちは
どちらかというと『放任型』に少し偏る方々が多かったような気がします
とにかくよく遊ばせる
習い事もさせずに、ひたすらに疲れて倒れるくらいまで遊ばせる
外でワーワーキャーキャー言っているのを
自由に遊ばせて
よく喧嘩や揉め事もあるけれども
他の母親から叱られたり
また、私もよそのお子さんを叱ったりもしましたが
何より『人間関係をとことんやり尽くせ』という母親たちは
喧嘩や争いは小さい頃に沢山経験させた方がいいと
言う主義の方々でした
なんでかって、まだ小さいうちは
母親たちがケジメをつけられるからです
何かしでかしても、
あんたたちの後には、私たち母親たちが構えているわよ
と言う存在感は
子供達同士で生じる『意地悪』や『差別』を感じる場を許し
またその『意地悪』や『差別』を
どう捉えて考えていけるかという学習ができるようになります
いわゆる『悪』をきちんと安全な場所で
体験する(加害も被害も含め)ことで免疫がつくような気がするのです
これは河合隼雄先生も言っていましたが
『悪』と言うものは
悪ではありません
不思議なことに『悪』をきちんと感じて通過した人というのは
後々に才能を開花させることが多くいるというのです
重鎮レベルの女性の作家さんも
思春期に入るくらいに、ものすごく万引きをしたくなったそうです
何故かわからないけれども
自分の中に、ものすごい衝動として盗みたいという働きが出てしまい
それを感じながら生活することが大変だったそうです
紆余曲折あり
その万引きの衝動は、次第に
『自分の中を表現したい』という衝動に変化していき
そして作家になったのだと言います
その作家さんが自分自身でそれを公表していることからしても
過去の『悪』が違う形に変化して昇華されたのだと河合隼雄先生はいうのです
発達段階として
うまく外的・内的な『悪』を自覚するというのは
とても大切なことのような気がします
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色々な人をカウンセリングで見ていくにつれて
人間は誰しもが『悪』の種のようなものを持っていて
それらから害を受けるということもあるし
もちろん、自分の中から発芽してしまうこともあります
しかし
それを持ってでも生きていくのが人間ですので
やはり耐性をつけていくのは大事かなと感じるのです
インフルエンザも
もしかしたら、何かの耐性をつける存在としているのかもなと
思っている節があります
クライエント様もよく
インフルエンザに罹ったら、感覚が変わったと言うのです
現代催眠の極意は
『全てが在っていいもの』として捉えるのですが
先生もよく言っていました
『ウイルスも大きな観点から言ったら、何かを変化させる存在なのかもしれない』と。
最近では人類の発展にウイルスが寄与していたと遺伝子レベルで解明されてきているようです
最近で言えばコロナの時期に
引きこもりだった人が多く町に出れるようになったそうで
そうやってみると
表面上での『善』だの『悪』だのと論じることは
机上のお遊びのようなものなのかもしれません
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