スピ神さま

無意識の行動

無意識の行動というのは
『過去に受けた傷を思い出さないようにする』とか
もしくは
『過去に受けた傷を癒すようなもの』を選んで行動として意識的に選択していくことが多いです

例えば
買い物依存とかは
『美醜で傷ついた経験』をなんとか回復したいという切実な無意識からの動きにより
買い物で『自分を生まれ変わらせること』を選択せざるをえない状況になってしまっているとか

アルコール依存は
『無力で孤独な自分』をもう感じることがないようにと
飲酒により高揚させることで紛らわしているとかです

スピリチュアル依存

その中で、近年よく見られるのは
スピリチュアル依存です

これは『自分は選ばれた存在ではない』という『孤独感』が
この依存を産んでいるような気がします

特に女性が多いのは
『女性』や『母』や『妻』など

『役柄』『役割』としての自分ばかりを求められて

『誰も私のことをわかってくれない』という絶望感に打ちひしがれた人がハマりやすい
のではと思います

神さま依存

けど『教祖』や『神』だけは
『この私のことを理解してくれている』みたいな

『神との共依存』や『教祖との共依存』は本当に多いです

どことなく
『宗教依存』にもつながるところなので
私も大っぴらに申し上げるのが憚られておりましたが

でも、どの方もどうにも苦しそうなのよね・・・

私は『人間が作った神』は『校則』とか『学校の先生』みたいなものかな思っています

『これやれば、幸せになるよ』とか
『これやれば、救われるよ』とか

厳し目の先生もいれば
穏やかな先生もいる

どんな先生を『神』とするかはその方の自由だし
『先生としての神を選択しない』という自由もある

生きていく上で、どの先生からの『言いつけ』を守るか、
もしくは先生はいらなくて自分で選択していくか。。くらいのレベルの話かなと思うのです

その昔は『自然が先生』で、
人は個人個人で自然から『意図』を汲み取り
個人が『自然』と契約して
一生を『自然』と生きましたが

科学が発達した今に流行りだした『神』は
『選ばれしものを愛でる神』だなあ・・と思うのです

スピリチュアル裁判

そんな折りに
よく耳にするのが

『スピリチュアル裁判』的なものをしてくる方です

『神の意向』を持っているからと
他の人を『断罪』してくるのは、ちょっと侵害行為に近いよな、と思うのです

で、これは非常に『依存性』が高い行為でもあることがあります

まず『孤独ではない』

神と一体化して他人を裁けるんだから いっときはとても高揚感を味わえる

そして
『あわよくば信者を作れる』

自分の神が自分を愛してくれているからこそ
『自分は選ばれし存在』で 
また、そんな自分を崇拝してくれる人間も現れたらラッキー

『神依存』はものすごい孤独を抱えた人が陥りやすい依存です

うまく、バランスがいい神との出会いがあればいいけど
(バランスがいい神とは、穏やかで侵害行為をせず孤独を和らげ一体感への道筋を示してくれる神)

『人を断罪することで自分をアゲアゲにする神』が
頭上に来てしまった場合は注意が必要です

結局、一番ご本人が癒したい傷は『孤独』なのに
余計孤独への道を邁進していくようになってしまい

本当の自分の孤独感を周りと共有することも叶わずになってしまいます

カウンセリングとスピリチュアル

私のカウンセリングもある程度の『見えないスピリチュアル的』な部分を使いますが
依存はさせたくないので、
私は結構 おちゃらけたように振る舞ってしまいます

話す内容もざっくばらんに
あえてするようにして

依存しすぎる場合はカウンセリングでは 口にしないようにします 

私は『自分の中からアクセスするある部分』に頼っているところはありますが

『できること』と『できないこと』と『侵害しているか、していないか』には
常に注意してします

ポイントは『カウンセリングで高揚感を感じたら注意』と自分に戒めています

依存している最中って
『高揚』するんですよね

ドーパミンがバリバリにでるような感じ。

なので自分の中で『高揚してきたな・・』と思ったら
上がらないように冷静になるようにします

依存しすぎないといい距離が保てるようになってきます

自分の奥底にある本当の心の傷に気づく

最後に
『何故、その行動を自分が選択したか』に気付いていくのは

『自分の奥底にある本当の心の傷に気づく』のに有効です

『何故、私は今この選択をしたのか』という『自分への問いかけ』は

『自分で避けている心の傷』に気づく
唯一の方法だと思っています

神を求めているのであれば
『無償の愛』を求めているのかもしれないし
それが欲しくてたまらないのかもしれない

人間てのは『欲しいものを与える』ことで
実は脳が満足していると言う性質を持っています

脳は主語をわからない と言うのは本当で

『バカ』と他人にいうと
脳は『自分がばか』と言われたくらいのダメージを負うともいいます

この性質を逆手にとって
『慈善事業』や『ボランティア』などで『幸せ』を感じる方は多いですし

人の話を聞くことで
自分が話を聞いてもらったかのような気持ちになる
と言う『自助グループ』が依存症には有効だとも言われています

一言で『依存症』と言いましても
ご自分でさまざまな展開ができていくのです