愛の勘違い

『愛』とは『与え合う』ことを意味する人もいるし

『愛』とは『犠牲』を払うことを意味する人もいるし

『愛』とは『地球が思い浮かぶ』ともいう人もいるし

『愛』とは『奉仕』が思い浮かぶ人もいるし

『愛』とは『赦し』が思い浮かぶ人もいます

『愛』という、このたった一言のワードで
思い浮かべるイメージは 人それぞれ千差万別なわけなのですが

『愛がいらない』という人はあまりいません

色々な人が欲しがる…というのも『愛』の特徴かもしれません

私はカウンセラーという職業上
色々な方から話を聞きますが

その方が、『どんな愛』を求めているか ということに
かなり注目しながら話を進めていきます

たいがいの方は
『個人的充足』と『愛』とを混在させている場合が多いです

個人的充足とは
字の如く『個人が満足しうる感覚』です

なので『満たされる感覚』を味わい続けることが『愛』なんではないか、というところで

『愛』すなわち『個人的充足』を求めていらっしゃいます

この『個人的充足』も
自分で自分を満たせれば良いのですが
他人から充足させてもらうことこそが『愛』だと捉えている場合は
現実が拗れがちになってきてしまいます

しかし
このような方たちも
どこかで『愛』を搾取されてきた経験がある方ばかりなのです

搾取する事が『愛』なんだと学習してしまったが故に

だから
いつか自分だって搾取して味わいたい・・
という感覚が出てきてしまっているのではないかなとみています

うちに来られる方のほとんどは
『愛を搾取されてしまったが故の怒りや悲しみや殺意』がテーマにあります

大抵の『殺意』は解消できます
癒すことができます

そうすると本来の『搾取ではない愛』に気づくことができるようになります

それにしても
『愛を搾取する行動』をされた側って
『殺意』を感じやすいよなあ・・

それだけ『絶望』とか『悲しみ』を味わうからなのかもなあと
いつも介入している時に思うのです

わたしもカウンセラーになりたての頃は
『殺意』とかに触れるなんて考えもしなかったのですが

愛の真髄を侵される行為をされたら
誰でも『殺意』は感じうるのかもね・・

と最近は思うのです

でもこの『殺意』は在っても あまりいいことはないので
介入して解消していくことで
次のステージにいくことができるようになります

そうそう
うわての『悪い方々』は
『人が殺意に乗っ取られたらどれだけ操作しやすいか』ということを熟知しているので

これを逆手にとって
ますます搾取しようとしてくる方々もいます

極悪ですね(怒

それを支配とも言います