道のりは険しい

私は いま 自分の母親と切り離しをしています

以前は なんとか
『共存』の道があるのではないなと
模索しており

だけれども
今までのように

罵倒され
馬鹿にされ

こちらが 距離をとると

一転して 死にそうな声で
どうか連絡をくれ

お母さんの気を狂わせないで

お母さん、頭がおかしくなる

等々…

こちらが まるで
見捨てたかのような

あの方は
やはり 私にとって 母親としては
とても受け入れがたいんだな

と 思おうとするのだが

母親も さるもので

親戚中を 実家に呼び

『来ないのは あんただけだよ
みんな会いたがっているよ』と

留守電にひたすらメッセージを残す

…小さなときの あの嫌な感覚が
呼び覚まされますよね

なんとも言えない 仲間はずれにされ

血が繋がっているはずなのに
クチバシで つつかれているような

仲間であるはずなのに
巣から追い出される感覚

トラウマを治療し
回復というものが どういうものが
見たい 見たい

と やっとこ
クライアントさんと共に歩んできた中で
切り離す勇気が出てきた!と
思ったとこでの

嫌〜な感覚だったのを

今は
ただでは起きない性分ですから
とことん 見てやる

と 歯をくいしばって見ておりましたら
色々 感情が出て参りましたよ

1人ぼっちにして 嘲笑い
こけおろし
私のモノマネをして

何か 『楽しみ』みたいのを
共有しているようでありましたが

じゃあ なんで 私はこれに
酷く傷ついたのか

と見ていくと

私と 同じ年齢の従姉妹たちは
強い者 すなわち 母親や父親に守られていたのを
間近に見ていたからなのですね

しかし
私は強い者たちに守られていない

これが とても劣等な感覚の始まりで
ありました

強い者たちから 守られない

という事が こんなにも
劣っている感情を呼び覚ますのだなと

原始的な感覚でありますが
改めて噛み締めた次第であります

強い者

おそらく 私も 目に見える世界からは
そう言われる部類に
そろそろ 入ってくるのでしょう

いずれかは
何か 守り戦うようになるのかもしれません

その時こそが
私の本性が見えてくるときだと思っております

この悔しくて 悲しくて仕方が無かった日々を
どう位置付けていくか

ただの 強い者 になるのか

その世界って
誘惑に満ち溢れているものですね

ダークサイドって あるんだなぁ

しかし
私の 左手と 右手と 足たちとが
震えて教えてくれるんですよね

PTSDのベトナム戦争からの帰還兵のように

今 私
どっこでも
ピョン!と 飛んでしまったりしています

デパートでも跳ねてしまうし

場所により
手が ものすごく 震える

周りの方々
びっくりしておりましたが

今はすいません…としか言えないですね 笑

私のトラウマは
最重症らしいです

戦災孤児だね
と言われたぐらいの トラウマ

確かに
私の周りには
常に 誰かが
血の涙を流しているという環境でした

原始的神経に
身体の安心感というのを
覚えさせ 思いださせるアプローチを
いま 始めています

トラウマ
PTSD

被害を受けたほうに
どうか 癒される日々がきてほしいと

被害を受けたほうは
カウンセリングで

無理解 決めつけ などの
二次被害に合いやすく

貴方の器質ですよ とか 言われて

そこで また傷ついてしまう

道のりが 険しくなくなる日って
どうしたら 来るのかなと

襟を正す今晩でした