この話、ブログに書いたかどうだか覚えていないのだけれども
このところ、よく話題として『誰かに攻撃されたトラウマ』が引き起こすものを
よくカウンセリングでも目にするので
何となく書き残しておこうと思ったのです
中学の頃の いじめ の話
中学受験で偏差値が高めの中高一貫の女子校に何故か入ってしまい
初っ端から、なんとなく『馬が合わない感じ』というものを味わっておりました
その学校は私立で都内にあるので
その近郊の子供達が集ったという中学校
ものすごく一等地に住んでた子もいれば
郊外から通う子もいて
入学するなり『都会組』と『田舎組』という区別の仕方を
洗礼のように受けた学校でもありました
当時、同じ方面に家がある子たちは
なんとなく集まるようになり
そこから友達関係になったりして
朝も一緒に登校したり
下校の時はどこかに寄り道をしながら帰るなんてことをするような
同じ方向に住む子同士は
いわゆる思春期特有の『自分で色々な世界を知ってみたい』というような時期と
そしてそれに合わせて
通う学校が遠いということも相待って
『冒険』を一緒にするという関係性でもありました
さて、そんな中
ある日学校に行くためにいつもの待ち合わせ場所に行くと
誰もいなかったのです
なんとなく、それだけで『これはなんだか嫌な予感がする』と
察したところもありました
普段から、誰かを教室から閉め出したり
筆箱を隠したり
誰かの悪口をいうことなどということで『遊ぶ』という子たちが多かったので
学校に通うということが少し緊張を強いるものでした
その予感はあたり
学校に着くと
誰もが無視をするという状況がいきなり待っておりました
誰もが何かよそよそしく
いつもと違う日常が幕を開けた感じ
何かすごく悪いことがこれから起こりそうだという苦い予感
『どうしてこうなった』と原因を探そうとする私の脳内
誰もが感じることだとは思うのですが
学校や、クラスという組織や集団の中で
必ず『力をもつ子』という存在が出来上がります
それはほとんどの場合、顔がいい子とか
気が強い子とかで
力関係、パワーバランスを
組織の誰もが感じ取るところがあります
その組織の中でも、そのリーダー格の子供が楽しむ遊びが
例えば『誰かをなぶることで楽しむ』ということだったら
その『なぶりあい』をみんなで全力で楽しまなければならないという
歪つな圧力が働きます
本当に楽しんでるのか?
というのはさておき
そのいじめの状況は
全員の誰もが『異を唱えることができなかった』もしくは『しなかった』
ということでしょうか
さてそんな渦中の攻撃の的、『ターゲット』となった自分は
非常に混乱しますが
少し冷静なところもありました
なので
少し周りの状況を見てみようと
周りを見渡してみると
『やたらみんなから見られている』ということに気がつきます
何をするにも『見られる』『睨まれる』
正直、私が誰か他者に対して加害的行動を取ったことがあるかを考えたときに 弟が思い浮かぶをのですが
私は弟には興味がないのです
だから見向きもしないし
相手にもしない
(加害と言っても
うるさいから『うるさい!』と怒鳴るくらいでした)
しかし
今回自分が受けているこの状況は
どうやら『注視されているのだ』ということがわかり
誰かの、その目線の疎ましさとしつこさと蛇のような目つきに
本当に吐き気がするというか
全ての全員が人間とは見えないという感覚になりました
細々と書き記せばいじめの記憶は色々と蘇ってきます
死ねと電車のホームで何人もに囲まれて落とされそうになった時のこと
頼んでもないものを勝手に注文されていた時のこと
ものを隠される
ものを探られる
『死ね』の落書きが至る所にあり
誰も友達がいなかった泊まりがけの校外学習
いつもヒソヒソと聞こえるように悪口を言う
それはクラス全員に波及して
私はストレスで目が見えなくなってしまった
そりゃそうだと思う
人がいじめる顔というのはすごい顔なのだ
なんというか
本当に鬼というか
人間の顔ではないのだ
そんな顔を直視していたら
精神がおかしくなると、私の心は判断したのだろう
急速に目が見えなくなり
自分の足元さえ見えなくなって
でもそれはかえって良かった
薄ぼんやりした幕の内側で
私の周りは相変わらず騒がしかったが
それも遠く感じられるようになりつつあった
それはいわゆる解離の力を使ったのかもしれないが
それから
いじめは数ヶ月後に
2人の女の子に『酷すぎるから見てられない』と言われて
声をかけられ助けられて収束を迎えました
私の周りに2人の女の子がいるのをみるや否や
そのいじめっ子たちは
苦々しげな顔を近づけてきて
それだけはよく覚えている
唾を最後、吐きかけられて、いじめは終わった
すると
それまで虐めていた集団は
集団が崩れたとわかるや否や
何故か、いきなり手のひらを返したかのような感じになり
あっけなく
本当にいじめは終わったのです
まるで何事もなかったかのように。
ーーーーーーーー
それから何年も季節は過ぎていきますが
でも、まだ
私の心の中での『いじめ』は続いていました
それに気がついたのは
十数年後のことでした
私は自分の学校のことを思い出すことが非常に苦痛で仕方ないということに気がついたのです
女性の集団の中に入ると
身体がこわばり
おかしな汗が出る
威張った意地悪目の女の人に会うと殺意が芽生える
何故か
そういう人と縁ができやすい
学校があった『世田谷区』という響きだけで肩が強張る
『小田急線』とか『半蔵門線』とかだけでも
しんどい感覚になる
そして何より
いじめられた原因というものを
私は無意識に
自分自身にあるのだと思い込んでいたのです
それは『自分が醜いからいじめられたんだ』という強い思い込み
この『自分が醜い』はずっと長く持ち続けていた感覚です
『自分が醜い』という感覚の何が困るって
自分を罰したくなってしまうような変な感覚が芽生えてくるからなのです
子供といても
『こんな親で申し訳ない』などという感覚で
朝からバクバクと動悸がして
何年もずっとこれと戦ってきました
なんとか
この思い込みらしき感覚から脱しようと
私は私なりに何十年も暗中模索しておりました
それでも何故か引っ込み事案気味になったり
気を使いすぎたりしてしまい
相手から搾取されることが多かったのです
そして自分の脳内に聞こえてくる声は
『お前は醜い』『汚い存在だ』 ばかり
そこから逃げようとしたけれども
どうにも逃げられなくて
化粧も嫌い 髪をケアすることも嫌い 写真も嫌いな私が出来上がりました
『攻撃されない』ということを第一に生きてきたのですが
でも
どうにも苦しいのです
そんなある日
私は高之瀬に尋ねます
『不細工なのを、なおしたいんだよね』と
そうすると高之瀬は答えたのです
『思い通りにいじってみたって、無駄だよ
自分が自分の存在をそう思い込んでるんだもの』
そりゃそうだと思ったのです
『いつからそう思うの?』と訊かれて思い出すのは
母の顔と
その中学校の時のいじめです
母のことはトラウマ治療の最中でしたから
残りの『中学校の時のいじめ』の記憶をどうするか・・ということになります
しかし
『いじめの記憶』を取り出す作業というのは結構しんどいものなのです
なぜかというと
『いじめられていた自分』というのを思い出すと無力感に苛まれ
思い出そうとしなくてもふいにフラッシュバックします
その度に不快な感覚が体を包み
苦い感覚が込み上げてきます
『多分、いじめた方は 私がこんな思いをしていることすら思いもかけないに違いない』
と思えば思うほど
それもまたしんどくなります
しかもその時期、同窓会の案内が届いたのですが
取り仕切る子は割と高校時代は仲良かった記憶があるのですが
実は同じクラスでいじめを知っていたと言われたのです
同じクラスだったことすら記憶になく
『知っていたのに止めなかったんだ』と分かってしまったという落胆と
大きな大きな人間不信の感覚
さてそんな大きな不快感に翻弄されている私に
高之瀬が
『訊いてみたらいいんじゃない』というのです
いじめの本人たちに。
弁護士でもある高之瀬が言うには
『いじめ』は最近弁護士が請け負う案件としても増えているとのこと。
そうかあ・・と思った私。
どうせ会わないんだし
最後に、なんでいじめたのか
醜かったからなのかを訊いてみるのもいいかもしれない
選択肢にもなかったのですが急に
自分の目の前に、カラン・・と 木の札が下げられてきたような感覚
この札を引いたら
何かわかるかもしれない
これ以上
自分では、自分の感覚を塗り替えられないなら
昔あの時やられっぱなしだった私を
今の現在の私が助けるんだ
と
私は連絡を取ることにしたのです
(続く)
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