ダルマの目

先生は回復の過程で
『だるまの目を入れられたら、本当の回復といえる』と言うが
これはどこの心理療法を見ても
確固たる方法が確立されているところはありません

それくらい『だるまの目を入れる』のは難しいといえます

だるまの目ってのは
私たちセラピストや治療者が入れるわけではなく

クライアントさま自身が
『目を取り戻していく』と言うことです

目は、ほとんどの人々が奪われています

大抵は
他人の眼を自分のものとして
日々を過ごされていて

自分自身がどういう目を持っていたか
記憶にないという方も多い

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私の好きな人で
その人は戦後を生き抜いた方だったのだけれども

その人が
『自分の感受性を失うことくらい大変なものはない』と言っていて
本当にそうよな、と思うのだ

私は昔
折り紙が入った袋を開封して
色の写り具合を楽しむのが好きだったのだが

好きな色の中に『銀色』があり
これは当時の幼い私にとっては
『透明感のある涼しげな色』でとても好きだったのだ

対して『金色』は
どこかキナ臭い感じがして 
私からしたら あまり好ましい色ではなかったし

何より『金色』を身につけている祖母の顔の
何ともいえない感じが受け入れ難くて
『金色は怖い』とさえ思っていたのに

私も歳をとり
『金の方が銀より価値がある』と言うことを知り

いつの間にか
『銀色』に対する、あのすっとした、しゃんとした感覚が消え

代わりに『金、手に入れてみたい』という感覚が芽生えたのを
今でも不思議な体験として覚えています

色の組み合わせも

ジャングルジムに登って、自分の服を頂上で眺めながら
『赤とピンクの組み合わせって最高〜!』と思っていたのだが

周りから
『それ変だよ』と言われて
何となく自分の感覚が間違っているような気がして
好きな色の組み合わせがよくわからなくなってきてしまったのも覚えている

おいおい

『変だよ』って言うなよ

と今になり切実に思うのだ

その影響か
私は『度肝を抜くようなセンス』に出会うと
ものすごく興奮してしまう

それは生き方のセンスだったり

極めてギリっギリのところを攻めてくる会話のセンスだったり

自己表現のセンスが
体当たりだと、面白くてたまらないのです

大抵、そんな方々は満身創痍でこちらにいらっしゃいますが
そんなんでも
その個性的なセンスを押し通して生きれるように
こちらは全面的にバックアップであります

失敗したら、フォローは全力でやるから
とりあえずやってらっしゃいな

と送り出すと結構 皆 飛ぶ 跳ぶ 翔ぶ

センスを取り戻すと
皆さま、檻から飛び出すのよね

檻って
『親の言葉』や『周りの言葉』で出来上がり
『保障』だったり
『安全』だったりもするけれど

けど
どれだけ『自分がとべるか分からない』という
フラストレーションも一生抱えて生きていくことになります

好みの問題ですが
私は、断然 とびたい方なのです

それならば
だるまの目は必要だろうということで
目を取り戻しているわけなのです

目がないと、どこにとびたいかも分からないので、ね。