自分が子ども

苦手なもの

ある日、私は世界に苦手なものがあると気がつきました

なぜそれらが苦手になったかわからないのですが
いつからか
それらは酷く私を狼狽させるものでした

私は蜘蛛が苦手です

それから水に触れるのも結構苦手
触れるとピリピリする感覚がするのですもの

それから階段を下るのが苦手
右足と左足 どちらを出しているのか途中から分からなくなって足がもつれてしまいそうになる

エスカレーターも苦手で
一拍置かないと乗れない

髪の毛が苦手で

暗闇が怖いし

女の人の金切り声や怒鳴り声には体がすくんでしまう

 

並べてみると小さな頃から苦手なものであり
いまだに苦手が続行中

私の中の『小さな私』と『厳しい私』

苦手を思い浮かべると
私の中に『小さな私』が浮かぶ

『小さな私』はそれらを克服しようと頑張った時もあるが
それらは克服できなかった

でも今現在 大人の私が考えてみれば
それらは克服できないことだったのかもなあと思う

『克服』という感覚は
『ねじ伏せる』とか『勝つ』とか勇ましいイメージで

私はとても自分の中の『恐怖』に勝つということを
一人で成し遂げるのは難しいなあと思うのだ

そこで
私は自分の中の『厳しい私』に気がつく

『厳しい私』は『弱いこと』をよしとせず
いつも
『強くあれ』という

蜘蛛になんか怖がらず

エスカレータもスムーズに乗れるようになり

暗闇では怖気付かず

『いつも挑戦し続ける自分であれ』と言う

でもこれって克服できるのかしらん
・・と大人の私は思うのだ

私の中には小さな私がいて
いまだに怖がっていて

それの尻を叩いたからとて 克服できるのだろうか

そもそも強くあれというが

なんで強くなければならないのか

 

小さい私は言います

『一緒にいて』と言います

 

そうだよな・・・と思う私がいます

小さな私が怖がっていたら
『克服しなさい!』なんて叱らずに

『怖いねえ』と
目線の先のそれを一緒に見つめてくれるだけでよかったのになと思うのだ

自分の『親』に自分がなる

そしてある日
私は 自分の『親』に自分がなろうと思いました

私自身が欲しかった『親』に自分がなればいいのだと

怖いものを『怖いねえ』と見つめてくれる『親のような自分』になろうと思いました

私が欲しかった親は急かしません

階段では
『ゆっくり一歩一歩ずつ降りなさいね』と言います

エレベーターでは
『怖くないよ 落ち着けば大丈夫』と言います

蜘蛛がいたら
『怖くないよ ただの虫だよ』と言います

暗闇では
『深呼吸してごらん 大丈夫』と言い

髪の毛が落ちていたら
『なんで怖いのか不思議だねえ』と一緒になって不思議がってくれる

そんなことを繰り返していたら

私の中に在った『恐怖』が少しずつ変化してきました

『恐怖』の輪郭がうすぼんやりとしてきたのです

カウンセリングでは『恐怖』を一緒に見ます

カウンセリングでは
お一人 お一人の『恐怖』を一緒に見ております

一緒にみるので
もちろん『共感』するのですが

どれだけ怖いかを一緒に 同じ気持ちで感じるので
なかなかハードです

中には身の毛もよだつ恐怖をお持ちになっている方もいましたり

過去世の恐怖を今世に持ち越してきた方々も多いです

過去世の恐怖は主に
『死に様』に関わるので
それこそ『死の恐怖』を一緒に見ております

特にやはり『エネルギー介入』で共感した場合は
『恐怖』が変化します 

そんなことをしていると
その方の中での『恐怖』が昇華してくるのです

   

Instagramはじめました カウンセリングルームの様子を よかったらご覧ください

 

↓TOPページへ戻る↓ユークリッド・カウンセリング ご予約・お問い合わせ等はこちら