最近のカウンセリングでは
『怒りと 恨み』に対する介入が 面白い
面白い…と申し上げましたら語弊があるかもですが 興味深いのです
何故 そこで 怒り を感じるのか を
丁寧に開放していくと
思ってもいなかった本音が出てきて
建前なんて
皆様 忘れたかのように
滝のような勢いの 『心の声』が出てくる
さて 怒りとは
『得られるものと思っているものが
手に入らないとき』
に 生じる情動と説明されるが
『怒り』ときくと
私は 神を思い出してしまいます
じゃあ 俗に言う 『神の怒り』って
なんなんだろう…と 思ってしまう
神様なのに 怒るのか?
そういえば
アダムとイブは
禁断の実を 蛇に唆されて食べてしまい
神の怒りに触れて
楽園を追われたというが
神さま
アダムとイブを 自分の所有物のように
思っていたのかなぁ など
考えてしまう
昔から
自然の中に 脅威を畏怖を感じていた人類は
そこに 何か の存在と意味を見出したのが
神 の始まりだと
無神論の私は思うが
恐怖や 未知 畏怖を感じる瞬間に
人間は それを そのまま
身体で感じることが限界な場合
対外的に 『 存在 』を作り出すものなのだ
そうして その『存在』により
生死を分けられ
幸福や不幸を 分配されると考えたほうが
自己の精神が破壊されずに済むからか
そう考えると
古代から 人間の営みは あまり変わってはいない気がする
その『存在』に
いわゆる『神』に
自己の 価値を委ねてしまう
だからこそ (未知との遭遇)を体験している
今の状況は
皆、てんでばらばらに
『神の視点』から論じるが それは不毛なのだ
『わからない事だけが存在することが
わかっている』
という事しか 事実はない
だからこそ
その 『未知』 を
感じてみたらばいかがかなと思うのだ
意味づけされていないものが
身近に 存在するのだと わかったときの 感覚
それは あまりに
慄き 鳥肌が立つものであっても
感じきると
次第に (ま、仕方ないかぁ)と
変化してくるから面白い
その未知に 無理矢理 正解を探そうとするから
人は 辻褄が合わない事に目が行きがちになり
ビビってしまうのである
現代催眠の先生と
よくやる遊びで
意味づけしない会話 をする というものがある
先生
私
部屋
カーテン
空間
音
匂い
暑さ
寒さ
そういったものを
ひとつ ひとつ 注目して
言葉の外側に出してしまうのだ
すると ポカン と
五感に浮いた自分が出てくる
そこは 未知
五感しかない世界
言葉は無い世界
さあて
私たちは
かなり 未知に囲まれた生きていたのだと
五感で わかったときに
ありとあらゆるものの意味は
意味が無いから 意味がある とわかるのです
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