痛いの 痛いの 飛んでけ

私の子育ては
ある意味 子供自身が (自己の衝動)と
どう 折り合いがつくかを 大切にしてきた気がします

例えば
思い切り 子供が転んだとき

大粒の涙と 呼吸と 泣くというバランスが
取れずにおり

痛みと 恥ずかしさと
状況が飲み込みずに パニックになっているだろう
と 推定し

私は よくそんな子供を抱きながら 静かに
囁くように問いかけたものでした

『あなたの どこが どう感じるの?』

子供は しばらくすると
質問の問いに答えるべく
事態を客観的に見始める

『こっちの足』とばかりに
指差して教えるのだが

まだ 状況が飲み込めず ワーワー言う中で

こちらも引っ張られ 焦る気持ちを抑えながら

『どう感じるか、教えて
ピリピリ痛い?
ジンジン痛い?
それとも 救急車を呼ぶくらい痛い?』と

低く鋭いニュアンスで
未来の予測まで含めて 子供に提示すると

子供は
『救急車くらいではないけど
骨が痛い、血も出てて怖い』など

自分の身体について 説明 を始める

これが大事なプロセスで
身体と 意識を 切り離して

自己を分析して言葉にする過程を体験することにより

『痛みが自分を支配すること』から脱却し始めるのだ

そうしたら 子供は 自分の感覚で
『痛み』を克服すべく 工夫し始めることも出来る

『消毒して』と 頼むこともできるし

『帰り道 歩けないから 抱っこして』と
自分に プラスの予測も要求出来るようになる

私は 子育てにおいて
この 一連の 体験を
子供がすることを とても大事にしていました

『痛み』などに対する 怒り 悲しみ 恥などによる
感情から どう 自己を取り戻すか

何故 このような子育てをしようと思ったのかは
わかりません

一切 育児本も読まずに 独学で
試していた方法ではありましたが

人間が生きるなかで
切っても切れない 『苦痛』や『怒りの衝動』と

人間は どう折り合いをつければ

豊かに生きることができるかの方法を
試しながら
常に探していた気がします

この方法は 現代催眠においては

『注意のそらし』
『分割』
『前進』

というテクニックでもあります

『痛いの 痛いの 飛んでけ』も
痛みを 外在化して
変化させ 分割させる方法に近いものであります

他にも
『動かない子供をどう動かすか』
『不安がる子供に どう安心感を感じさるか』
『焼き餅をやく長男、長女にはどう接するか』

私の子育ては 愛情ベースというより
実験がベースでありました

私の中では
『愛情は支配』というトラウマがあったので

どうしても 子供を
私の『玩具』にはしたくないという思いから

私は ある一定の距離を保ち

母親として存在する子育ては 小学生まで

決めていました

子育ての間は やはり 葛藤や
底知れぬ怒りなどが 沸いてきましたが

どうしても 『負の連鎖』を断ち切りたいと
いう執念が勝ち

今に至ります

今 振り返ると
愛情を食べさせた子育てでは無かったのは
一目瞭然だったなとは思うのです

しかし
人間に育った 子供達をみると

ああ 私という母親が育てたんじゃなかったんだな


ふと 無意識の采配みたいなものも感じるのです

 

 

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