わたしの中の

私は小さい頃 私の母親は
他の母親とは何かが違うと思っていました

母親の妹…つまり私の叔母は いつも我が子に笑いかけるのです

まるで 宝物をみるかのように

優しく頬を撫で
綺麗な声で 我が子の名前を呼び

そしてその子は シャボン玉のなかで守られているように
綺麗な存在になっていく

なのに しかし 私の母親は
私に何故か 笑いかけないどころか

いつも憎々しげな 邪魔な顔しか向けてこない

他の母親は 子供に向かって 慈しむ顔をするのに

わたしに向けられるのは何故か 蔑むような顔と
鬼のような顔

そして 四六時中聞こえる宗教のお祈り

うちは 祈らなくてはならないほどの不幸があるのだと
ずっと諭されてきた中で

どうすれば 母親から優しい眼差しでみてもらえるかを
私はずっと 模索し続けていました

それこそ データ化

私は 何で叩かれるのか

どんな状況だと殴られるのか

どうすれば 母親は機嫌を治すのか

そのうち 私は悟ったのです

叩かれる時に 私が痛いからと身をすくめ
防御の体勢をとると 叩く音がくぐもって聞こえる

すると 母親は 叩いた気がしないのでしょう

いい音がするまで 殴り続けるのだという事に

そして いい音がすると 母親は 満足気な顔をして叩くのを止めるのです

それに気付いた小学6年生のとき 私の中で
全ての何かが壊れた感覚になりました

私の母親は 母親ではなかったんだという感覚に近いのでしょうか

高校になっても 私のゴミを漁り 保管する母親に育てられた私は

自分自身というものが 一切見えない ゴミ屑のような人間と
自分をおもっていました

しかし
クライアント様たちのお話を伺っていて

私は だけど 思うのです

みんな 思うような 理想の環境で育てられてこなかったけど

だけど 自分で自分を ここまで育ててきたじゃあないかと

這いつくばって 歯を食いしばって生きてきたじゃあないか

ありとあらゆる手段で生き延びてきて
そして 今 現在も 自分で自分を生かして 育てているじゃあないかと

だから 母性というのは
私の経験からすると 受け継がれるものではなく

性別問わず 自分自身に
備わっているものなんじゃないかと思っています

そしてそれは 結果 向上心のようなものに繋がっていくような

ちなみに私は子育てを経験しましたが
あの母親の通りに育てていたら
私の 子供たちは死んでいたかもしれません

だから 私は誰からも教わったことがないけれど
私は 自分が欲しかった母親を 子供たちにプレゼントしたのです

2人の子供を育てたからなのかもしれませんが

クライアント様方を治療していると
不意に その方たちの 子供のときと お話している感覚になります

嗚呼 それは 悲しかったね

寂しかったね

嫌だったね

怖かったね

それなのに よく頑張ったきたね

その時 その方が 何だか とても 愛おしい感覚になり
その子を 抱きしめているような感覚になります

すると
私が欲しかった あの優しい眼差しが
どこからか在るような

すると その方が
綺麗な透き通ったシャボン玉のなかに入ったような感覚になっていくのです

ちなみに こんなに小さかった
私の娘は いま 幼稚園の教諭を目指して頑張っています

子供が可愛くて仕方がないらしいです

よし 明日も 私も頑張るぞ

乙原

 

 

 

 

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