やっと
暗く ヌメリとした泥水から
這い出した気がする最近であります
こんにちは
私は その昔
自分自身がカウンセリングを受けるようになるまで
自分の親が なにか 私にしていた
とは 捉えていませんでした
虐待は無かったと思っていたし
トラウマも無いと思っていた
多少厳しく おかしな我が家で
他の家は 他の家
と言われて育ってきたので
この家に生まれてきた宿命みたいなものを
なんとか 子供なりに ねじ伏せ
責めたって変わらないからと
だったら 自分で
何か 少しでも工夫出来ないかと
生きてきました
だから カウンセリングに行き
「虐待されてきましたね」と言われて
天変地異が起きたかのようになり
そこから
トラウマとは
無意識とは
脳とは…と
私は どうやって 生きぬいてきたのか
を 回顧する時間が始まりました
たくさんの ものを 見た気がします
もがいて
ぶつかって
転んで
泣いて
人生で 初めて 自分に向き合った時間だったと思います
だけども
今になって わかることは
「責めているうちは 終わらない」
だけど
「責めなければならない時間も必要だ」
ということ
責めて 怒って 泣いて の時間を
きちんと安全にフォローしてくれる場と
いうものの大切さを
私は 痛感しております
私は もちろん 自分は回復したかったのですが
いつも 自分をデータ化して
あらゆるシミュレーションにかけと
何故かいつも
治療者目線な自分がおりました
自分を自分で治す
そこには 植物が育つように
光も水も 時間も言葉も
適宜 必要だと
水をあげ過ぎたら 腐るし
光を当てないと 弱々しくなるし
本当に 繊細で 優しいカウンセリングが
必要なんだなとわかりました
養分を必要だからくれ
…となっても
それは 単なる劇薬で 根っこを腐らせるだけの
ものだったりもするし
枯葉剤みたいな
二度と 生えてこないような ものもあり
だけど 雑草も大事な役割があったりもするし
結局のところ
最後の仕上げは
無意識に なにかを たずねたり
訊いたりなんての
思考すら しなくなっておりました
ただ ただ
自然治癒力という
それに 委ねていました
その自然治癒力に委ねるということは
自分を知覚し始めて
わかり始めてから
やっと出来るようになってきました
自然治癒力って
これこそ 無意識
自然治癒力こそ わたしゃ
無意識の真髄みたいなもんなんじゃないかと
思っています
だから
無意識は 万能かと問われたら
私は 首をかしげるところであります
そのような 捉え方を
私たちはしていないからです
無意識は 個々の存在を維持するもの
としか
私は 今は 捉えられません
無意識にきいて
宗教のように 何かを動かせるか
という力が無意識にあったとしても
私は 使いたいと思わないのです
だけども
仕事として それらを使っていることの
矛盾を突かれたら
そうなんです としか 言いようがないですが
使いたくないのに
使って 仕事をしている
いえ 使うというより
ただ 無意識を読んでいるだけなのです
それは
もしかしたら アカシックレコード
みたいなもんなのかもしれませんが
実のところは わかりません
わからないまま
進まされているような感じなのです
これも なにかの宿命なのでしょうか
乙原