独立し
新しい トラウマ治療をと探し始めた時に
エネルギー療法の歴史から紐解くしかないわ
と
足で探して
出会った 精神科医や
脳血管の専門家の方々に
助けていただきながら
吉本先生と一緒に仕事をされていた先生に
辿り着き
さて
じゃあ これからどうしていこうと
なったらば
先生たちから
早く今までのもの以外のものを見つけなさいよ
と言われる
もしくは 早く作ってごらん と
言われる
むしろ
最近では 先生がた 皆
それを 心待ちにしている感もあります
トラウマを 私は持っていますが
今も それが完治したかというと
完治はしてはいないようでして
先生がたは
私のトラウマに対し
色々な姿勢で 接してくれています
スーパーバイズは
私が私をどう治すか を
ひたすら 観察する
カウンセラーとして 独り立ちする為に
自分を自分で治す過程を
見守り続けており 今もそれを継続中
私自身
トラウマから回復するとは何かを
いまいち 掴めていないので
手探りで自分を見るしかなく
まず 回復する過程は辛い
だからこそ 体験することが
私の 経験値になり 健全な魂となるのだなと
わかってきました
スーパーバイズは
トラウマ治療は 「どろろ」のようなものだと
最初に会った頃
謎めいたような事を言っていて
手塚治虫の 『どどろ』は
自分の身体を取り戻すために
妖怪を退治していく話
なんで こんな話を先生はするのか
と 訝しく思ったのだが
回復するにあたり
確かに 私は 妖怪のようなものと 対峙しているのです
しかし
退治というより
妖怪のようなものを
昇華してしまい
本来の感覚に戻す
すなわち人間にしてしまう治療を
カウンセラーとして 体験することで
何故か 私まで 成長するという話
何も妖怪のようなもの…ではなくても良いと思うのに
スーパーバイズが
何故 『どろろ』と例えたかは
未だにわからず
だけど 本当に そんな世界観なので
ひたすら 修行なんだと
スーパーバイズから見立てを
チェックしてもらいながら
毎日 カウンセリングをしているのです
自分のことは
自分が一番わからない の典型例ですね 笑
だけど
クライアントさんたちが
かなり 感情を取り戻す治療が
出来ているのは
我ながら不思議であります
自分も 痛みを伴っているからでしょうか
対しての
催眠の先生は
健全な魂の在り方を
教えてくださる事により
道を照らしてくれる方であります
こんな道もあるよ
あっちの道もあるよ
だけど 到達するところは ここなんだよ
と
私を治療しながらも
カウンセラーとしての心得や 姿勢を
教えてくれ
私とは 何か
その問いを持ちつづけたままで
生きていけるような
魂の在り方を 教えてくれることにより
なんとなく
回復とは なにかも合わせて
人間とはなにか!
を 体感できるようになってきています
こちらも 修業かよ
というくらい 頭を使う
先生はご自身の生き様をもって
道を照らしてくれているのだと
覚悟が ありあり と見えるので
甘えは一切許されない
そもそもの、回復とは
『豊か』になることではない
というスタンスだから
私を受けいれてくださったのでしょう
先生ご自身、吉本先生と仕事をされてきた中で
無意識の位置付けを 豊かになるのだと
思い込んでいたと
今は違和感が出てきてしまい
一切 そのような
介入はしないのだと言い
ただ 私に
メソッドを教えてくれたり
現代催眠を施しながら
貴方の出来る治療とは どんな治療なのか
を自分で掴みなさいと
放り出される時間であります
ただ 楽しいから
前世療法 教えとくよ
みたいな雰囲気もあれば
いきなり説教モードから入ることもあり
ああ 先生
虫の居所悪いんかなと 思っていたら
仕事 引退したいんだよね とか言い出して
非常に人間臭いところが
とても 私がゆるむ 時間なのです 笑
以前使っていた手法で 介入する治療は
ありではありますが
私の周りの先生がたは
そこから 先があるのだよ と
いつも言います
また 自力でやる療法を他人にすることは
危ないとも
スーパーバイズは言う
だから 最近は
新たに 違う感覚を使い
介入するようにしたら
クライアントさんたちの 回復ぶりが
メキメキ上がってきました
私の無意識は 安易なエネルギー療法は
脳を損傷することもあるから注意だと
始めから言います
自分の回復の道
それは 本当に
自分でしか 歩けない道であり
自分でしか進めない
それが回復なのだと わかってきました
私のカウンセリングは
皆さま 一回は 苦しくて泣きますが
その後
自力で 立つ
そして 歩まれていく
先に 走っているクライアントさんを見て
勇気づけられるのです
カウンセラーより
先に クライアントさんが回復されるというのも
面白い現象ですが
今日も 正直に書くとします
乙原