『嫌なこと』と『一番やりたくないこと』は違う

 

1番やりたくないものは何か

・・ということを考えてみると
何が浮かぶでしょうか

この問いは割と難しい問いだなと感じています

「一番やりたいこと」について考えることは、
比較的よくあると思います。

どんな仕事がしたいのか。
どんな場所に住みたいのか。

何が好きなのか。

これからどんな人生を送りたいのか。

けれども、
「自分が一番やりたくないことは何だろう」

という方向から自分について考えることは、
意外と少ないのではないでしょうか。

私はカウンセリングの中で、
「何をしたいか」だけではなく、「何をしたくないのか」ということも大切にしています。

なぜなら、やりたいことがわからない人でも、

「これだけは、もうやりたくない」
というところには、その人の主体がかなりはっきり現れることがあるからです。

『嫌なこと』と『一番やりたくないこと』は少し違う

嫌なことなら、たくさんあるかもしれません。

働きたくない。

人付き合いが面倒。

家事をしたくない。

誰かの面倒を見たくない。

怒られたくない。

我慢したくない。

けれども、そこで終わらずに、

「その中でも、一番やりたくないことは何?」

と考えてみます。

すると、少し違うものが見えてくることがあります。

たとえば、

「もう人の面倒を見たくない」
と思っていた人がいたとします

けれども、カウンセリングでは
もう少し細かく尋ねてみるのです

「人の面倒を見るとき、
自分の言いたいことを一切飲み込まなくていいとしたら、それでも嫌ですか?」

すると、

「それなら・・そこまで嫌ではない」

という答えが返ってくることがあります。

この瞬間、
問題の構成が変わります。

嫌だったのは「人の面倒を見ること」ではなかったのです

人の面倒を見るために、
自分の言いたいことを飲み込み、

自分の感情を後回しにし、

相手が怒らないように振る舞い、

自分を小さくしておかなければならないこと。

そちらの方が、本当にやりたくなかったのかもしれません。

『嫌い』の中にもいくつもの構造があります

『仕事が嫌い』を解剖してみる

これは仕事についても同じです。

「仕事に行きたくない」
という言葉だけでは、その人に何が起きているのかはまだわかりません。

仕事そのものが嫌なのか。
人間関係が嫌なのか。

評価されることが嫌なのか。
失敗できないことが嫌なのか。

決められた時間に動くことが嫌なのか。
人の感情を引き受けることが嫌なのか。

あるいは、

仕事を続けるために、自分ではない人間のように振る舞い続けることが嫌なのか。

表面に出てくる言葉は同じ「仕事が嫌」でも、
その内側の構造はまったく違います。

だから、「仕事が嫌なら転職しましょう」とすぐに解決へ向かってしまうと、
本当に苦しかったものが見えなくなることがあります。

職場を変えても、
同じ構造を次の場所へ持っていくこともあるからです。

「人が嫌い」も同じです

「人が嫌い」
「人といると疲れる」
「一人でいたい」

という言葉についても同じことが言えます。

本当に人そのものが嫌なのかもしれません。

それも一つの答えです。

けれども、
人といるときに、
常に相手の表情を読んでいる。

機嫌を観察している。

怒らせない言葉を選んでいる。

自分が何を言いたかったのかより、相手がどう受け取るかを先に考えている。

何か違和感があっても飲み込んでいる。

そんなことを四六時中していたとしたら、
人といることに疲れるのは当然です。

その場合、本当に嫌なのは「人」ではなく、

『人と関わるために、
自分を監視し続けなければならないこと』

かもしれません。

「言いたいことを飲み込む」という行為

言いたいことを飲み込むことは、
一見すると小さなことに見えます。

大人なのだから仕方がない。

人間関係には我慢も必要。

何でも言えばいいわけではない。

けれども問題になるのは、
『言わないことを選ぶ』のと、『言えない』のは違う
ということです。

本当は言いたい。
・・・でも、言おうとすると身体が固まる。

喉が締まる。
頭が真っ白になる。
相手から反撃される感じがする。

だから言葉を引っ込める。

これは単なる社会的配慮とは少し違います。

身体の中では、

「言葉を出すこと=危険」
になっている可能性があります。

言えば危険、
言わなければ自分を失う

さらに厄介なのは、

『黙っていれば安全だから、それで解決』

とはならない場合があることです。

言えば、反撃される気がする。

だから黙る。

確かに、その場の衝突は避けられます。

ところが今度は、
自分が自分を嫌になる。

惨めになる。

弱くなったように感じる。

自分を裏切った感じがする。

つまり、

言えば危険。
言わなければ、自分を失う。

という構造になります。

こうなると、人と関わることそのものが非常に疲れるようになります。

いつも身体のどこかで、

『今回は言って大丈夫か』
『黙った方がいいか』
『相手は反撃してこないか』

と判定し続けなければならないからです。

『一番やりたくないこと』には、その人の尊厳が現れる

だから私は、
『一番やりたくないことは何ですか?』

という問いは、単なる好き嫌いを尋ねる質問ではないと思っています。

その人が、

何をされると、自分ではなくなるのか。

何をすると、自分を裏切った感じがするのか。

何を続けると、自分の尊厳が削られていくのか。

それを炙り出す問いでもあります。

「やりたいこと」には欲望が現れます。

けれども、
『絶対にやりたくないこと』にもまた、その人の輪郭が現れます。

こちらの方が、はっきりしている人もいます。

「したくない」をさらに分解してみる

もし、

「もう仕事をしたくない」
「人の面倒を見たくない」

「家族と関わりたくない」
「誰とも会いたくない」

などの気持ちが出てきたら、
それをすぐに否定する必要はありません。

その代わり、もう少しだけ細かくしてみます。

その中の『何が』、一番嫌なのか??

さらに、
その一番嫌なものだけがなくなったとしたら、
それでも、それを全部やめたいのか??

この二つを考えてみます。

たとえば、
「人の面倒を見たくない」
ではなく、

「人の面倒を見るために、
自分の感情を飲み込みたくない」

なのかもしれない。

「働きたくない」
ではなく、

「間違えないように
一日中緊張していたくない」

なのかもしれない。

「家族と関わりたくない」
ではなく、

「家族の前で、
自分の気持ちをなかったことにしたくない」

なのかもしれないのです

ここまで細かくすると、
人生全部を捨てなくても、
捨てるべきものだけが見えてくることがあると思いませんか

自分を大切にするということ

自分を大切にするという言葉は、とてもよく使われます。

休むこと。
好きなものを食べること。
自分に優しくすること。

もちろん、それらも大切です。

けれども、自分を大切にすることには、
自分が感じたことを、自分自身がなかったことにしない
ということも含まれるのだと思います。

相手に何でもぶつけるという意味ではありません。

言わないことを、自分で選ぶこともできます。

距離を取ることもできます。

今は話さない、
と決めることもできます。

大切なのは、

相手が怒るから、
嫌われるから、

反撃されるからという理由だけで、
自分まで一緒になって、自分の感覚を否定しないこと
なのかもしれません。

「一番やりたくないこと」から人生を考えてみる

やりたいことがわからないとき、

無理に夢を探さなくてもいいのだと思います。

代わりに、

「これからの人生で、もう二度とやりたくないことは何だろう」
と考えてみる。

そして答えが出たら、もう一段だけ深く聞いてみます。

「その中の、いったい何がそんなに嫌なのだろう?」

そこには、
自分が何を怖がっているのかだけではなく、

自分が何を守りたいのかが現れることがあります。

そして最後に、もう一つ。

その「一番やりたくないこと」をしなくていい自分を想像してみる。

その自分は、どんなふうに見えるでしょう。

強そうでしょうか。
自由でしょうか。
安心しているでしょうか。

それとも、

自分を大切にしていて、少し綺麗に見えるでしょうか。

「何がしたいかわからない」というところからは見えなかった自分が、

『何だけは、もうしたくないのか』
という反対側の問いから思いがけず姿を現すことがあるのです。