解離の世界を少しだけのぞいてみる

解離の解放は止まらない

 

カウンセリングを訪ねていらっしゃる方の多くの主訴には
ある共通点があります

『不安感が押し寄せてくる』
『自分が何を感じているのかわからない』
『前まで出来たようなことができなくなってしまった』(主に『寝れない』など)

自分の内的な構造に
何かしらの変化が起きてしまったようで
そこが上手く機能しない・・という主訴が多いのです

 

また主訴すら訴えることができない方もいらっしゃいます

内的な心の苦しさを
外側に表現することができないという方は
なんとかして窮状を訴えようとしますが

その言葉というのは、どこか硬く飛び飛びな表現であったりしていらっしゃいます

 

さて昔の話
以前働いていた仕事場では
『多重人格など無い』というスタンスだったので

私も働いていた時はそれを間に受けて
『そんなもんかあ』なんて思っていましたが

そこを辞めることになり

自分がさて、今後どうしようとなった時に

ひょんなことで訪ねた精神科医との
出会いは、今後の私の道標となるものを照らしてくれました

 

それが後のスーパーバイザーになるのですが
彼は最初は『診断』をしない人でした

覚えているのは、初めて会った時に

『考えさせてほしい』と言われたことです

何もお願いもしていないし
むしろ、トラウマがあるならば、何かヒントを・・と思っていたのですが

何も言われずに
その日は帰ったのでした

 

しかし、なんとなく携帯で自分の症状を見ていた時に

『解離性障害』の文字が出てきて

それを読んでいるうちに
『あれ・・?これ当てはまっているような・・』と思い

すぐに高之瀬にメールをした記憶があります

 

高之瀬もすぐ調べて『確かに症状全て当てはまる』となり

その次に精神科医の元を訪れた際に
『解離性障害のことが気になって
調べてみたら、当てはまるような気がする』と言ったところ

ニヤリと先生は笑い

『解離とは・・』と怒涛の講釈を何十分もされて

そして『あなたのスーパーバイザーになりましょう
これからはケースを持っていらっしゃい』

となったのです

 

自分の治療もさることながら
カウンセラーの仕事もしなさい

との指示は、あまりにも驚いたし

精神科医って、むしろ『休め』とかいうものじゃないのか
と思っていた私は

いきなりよく分からない渦に巻き込まれていったのです

 

仕事をしながら、自分の主訴(朝起きたらすごい吐き気と頭痛がするということと 絵が描けないというもの)が
治癒するものなのか・・?と思っていた私は

自分の見通しが、いかに甘いものだったか知ることになるのです

休んだら出来るようになる
休んだら働けるようになる

といった一般的な通説は、通用しない先生でした

 

もちろん後々に、休まないと治癒しない部分もあったのですが

それは後回しで
何を優先されていたかというと

解離の人格の『整理』でした

 

人間は、知恵と思考と社会生活を営む生物なので
周囲の人たちからの影響で、
その時々に『人格』をそれなりに変えていくものです

多くの健康な人は『多数の人格』を滞りなく維持しています

 

多数の人格を滞りなく維持とは

例えば、家族に対して
『行ってきま〜す』と出かける時の私①(親密な人とのあいだで出てくる人格)

そしてその後、友達と会う時の私②(昔話をしたり、近況を話したりする時の私)

カフェなどで店員さんに注文するときの私③(よそ行きの私)

そこのカフェでお茶をしていたら
知らない子供が急に転んでそれに大丈夫?と声をかける私④(少し子供目線での話し方をする私)

仕事先の人に急に会ってしまった時の私⑤(オフィシャルな私)

など
会う人により、実に多様に相手に合わせて人格を使いこなしているものです

 

人格の獲得は
社会生活を営んでいくにつれて徐々に獲得するものです

幼児の時は
母親へ対応する人格
父親へ対応する人格が それぞれに育ち

その後
兄弟に対応する人格

などが形成されていきます

健康な人は
他者に対して、健全に自然にスムーズに切り替わる超多重人格を持っている とも言えますでしょう

 

一方のある種不健全な多重人格の場合が
よく問題となる解離性障害 なのではと考えます

解離の場合とは
この人格が切り替わる際のスイッチが
円滑に切り替わらないということが問題なのです

切り替わる際に、記憶を維持し続けられないのが
重症の解離性同一性障害になります

なので全くの別人のようになってしまうというのがポイント。

 

解離性障害とは、多少の記憶を保持しながらも
傷を負った時の感覚はすっかり忘れてしまう。

また別人格が『意志』を持つまでではなくても
どこか、自分の心の中に
何か『掴みにくい存在』がいると把握していらっしゃる方も
多くいます。

 

解離のしやすさという、一つのバロメーターがありますが

自分の感覚を、『無かったかのようにしてしまう』ということと

空想が得意な人は
解離しやすい体質と言えるかと思えます。

 

解離性同一性障害も
解離性障害も

その傷を負った時と、同じようなシチュエーションに会うと
昔の古傷が痛むかの如く
フラッシュバックをよく起こしてしまうことがあります

記憶を維持できないので
切り替わった時のことを覚えていない為に

例えば家に帰ってから
一日のことがよく思い出せない・・などのことになってしまいます

 

また、記憶はうっすらあるけれども
どちらかというと、

昔のトラウマを負った場合と同じようなシチュエーションに
出くわしてしまった際に

昔、解離して、その恐怖などをやり過ごした(成功)体験から
何度も不本意な解離を起こしてしまうということもあります

 

トラウマを思い出させてしまうようなシチュエーションは
多岐に渡ります

あるひとは匂い、時間帯、天気、場所で・・と
紐づけられていたり

ある人は、睨みつけられたような気がするとか

人が多いところだとか
(助けてもらえなかったトラウマをお持ちの方はこれが多い)

 

また、夏もよくトラウマを思い出してしまう方が多いような気がします

夏はとても暑いので頭に血が上りますが
その血がのぼる感覚が
昔、嫌な思いをして怒りが頂点に達したが解離してしまったという
場合などに
この『体感覚』が記憶に紐づけられていて

なんだか暑くて頭に血がのぼる・・

なんだか不穏な感覚になってくる・・
といった
コンビネーションが繰り広げられてしまうということも
よく見られます

 

解離は、幼児などのかたでもよく見られる空想の世界に没頭する
感覚ですが

それをトラウマを負った場面で
使ってしまったので

それが後々に、存在感を増してきてしまい
何年も経った後に

なんだかよく分からない感覚になってくる・・というのが

解離性障害になってしまった顛末でありますが

 

ではどういう治癒があるのかと言いますと
現在少しずつ解離の研究は進んできています

もともと解離は精神医学の文脈では詐病を疑えと言われてきたこともありまだまだ偏見を受けやすい症状ではありますが

昨今 複雑性PTSDと解離の関係性については随分言われるようになってきました

私たちも一貫してトラウマと解離について取り組んでまいりました
(手前味噌ながら ブログを遡って読んでいただいても面白いかもしれません)

 

解離の感覚をお持ちの方は
ある意味何人もの人格(インナチャイルド含む)を保持してきているので

それが解放(統合もしくは手を結びあえた時)された時は
ものすごい存在感を表します

なんというか、すごいエネルギーを潜在的に貯めて育ってきたので

自分の中に
何人もの応援がいるような感覚です

また解離の人は、解離の人をなんとなく
感覚的に分かるようです

お互いに、解離コミュニケーションができる世界になったら
面白いよなあとも思ったりしています

   

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